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頑張るしかないんじゃないか [主張-ひと]

ひろゆきという人が面白い指摘をしている。

詳細は氏の記事へ飛んで各自読んでいただきたいが、つまり旧来の日本人の美徳・道徳観として「何か成果を得るためには努力しなければならない」「努力なくして成功はない。近道などない」
的なことが言われていて、それに順じて職場でもどこでも年長者は後輩に対してこうした説教をするというのが常だったのだ。

しかし、ホリエモンのような人間が分かりやすい例えだが、「え?やり方がどうだろうと、結果が全てでしょ」「どんなやり方だろうと、ルールさえ守っていれば何をやってもいい。稼いだもん勝ちだ」と言ってのける。勿論ああいう価値観を持つ人は実際のところすごく多いのだろうが、堀江は敢えてそういうことを口にするのを自分の生き様の美学として持っているから、なんというか、有限実行的な、敢えて叩かれるような、挑戦状的な過激暴論をさらっと喋り、長老の感情を激高させ、それでも勝って見せる。とことん屈服させて、旧来のしがらみや古い価値観を排除しようとしたのだろう。
まぁそこまで本人が哲学を持って仕事をしているかどうかはわからない。こちらの深読みかもしれない。しかし、結果論としてそうした印象を与えている意味では、彼はこの劇場型社会においてはある種のパイオニアとなり得たし、旧来の価値観、単位に多少なり影響を与えたことは間違いないだろう。5年前に誰が会社の業績や人の勝ち負けを「株価」で計っていただろうか。いまや、三流テレビでは株価の上がり下がりがまるで受験の偏差値のように、絶対的な単位として使用されているという、こうした事実が一方である。

では、それに対する違和感としての単純な二元論として「回帰」「復古」を唱えていれば事は解決するのか。「お金で買えないものもあるよ」「努力しないで得た栄冠なんて本物じゃない」「目に見える、物的な生み出すものがある、ものづくりの産業でないとだめだ」等々…
そういうことでもないだろう。
もはや、そういう二元論を言っていれば済むことでもない。「楽して稼げればそれでいい」「いや、楽せず努力しなきゃだめだ」という次元を超越して物事を捉えなければならない時期に来ているのではないか。
食っていくための知恵は最大限働かせていいと思う。そして、各々が専門を持たなければだめだ。そうでなければ所詮はサラリーマン文化を生きて、組織に従属し隷属し、使われて決められたルートを走るだけだ。こんなものに頑張るもクソもないのであって、それを99%がやる分にはいいかもしれないが、1%の人間までがこういう発想の呪縛を受けていてはならない。桎梏から解き放たれなければ。
自分の専門を持って、ひたすら邁進すればいい。「どうすれば一番効率良くできるか…」そんなことを考えてるヒマがあったら、今からでもひたすらやり始めればいい。死ぬ気で生きてくしかない。例えば作家になりたいと思ったところで、「大学出たら出版社に入って人脈を作って、訓練をして…」なんてエリートコースを信じてる暇があったら、例え小学生だろうと中学生だろうと、今から書いてればいい。毎日書き続ければいい。そして、自分で自分のジャンルを切り拓いていくしかない。

それを出来ない人間が努力しただの楽しただの言っているのはもう話にもならない。所詮は普通の人間で終わってくんでしょ、ということだ。

実はその辺をひろゆきという人は分かっているのではないか。小生はこの人物をよく知らないし、どういう仕事をしている人なのかも実際よく分かっていない。でも、そんな気がする。

もし小生がこの質問をされたら、こう答えるだろう。

「楽に努力して成果を得る」

かな。

だって、自分の突き進んでいく道が確信できているのだから、あとはひたすら頑張って、本気で生きていればいいんだ。頑張っていればいいのだから。こんなに楽な事はないだろう。

実は苦楽というものは表裏一体の存在であって、苦中楽ありなのだ。


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はなぽん

とりあえず、三度のメシより好きなものってヤツを見つけた人は
強いかも知れないですね。窮地に追い込まれても、徳俵を上手く使って
切り抜けたり、ひょんなところで助け船に出逢えたり。
もちろん、アレですよ。好きなもの、っていうのが
ある程度職業に結びつけば、の話ですが。
だから、作家になりたい、って思ったら小学校から書く、というのは
とても良い方法だと思います。
「そんな訳の分からないもの書いてないでベンキョしなさい!」って
親たちが叫んでも、隠れて書くべきです。
好きなものに向かっていくとき、努力は必ずしも苦痛ではなく、
ある種の達成感を栄養にしながら進むことが出来ますよね。
その意味で、

>実は苦楽というものは表裏一体の存在であって、苦中楽ありなのだ。

という俺さんの意見に深く賛同します。
俺さんのブログ、高2の息子にも読ませたいな。
by はなぽん (2006-01-30 18:46) 

あの遠い夏の思い出

この度、ブログを一時お休みすることになりましたので、
ご挨拶に伺いました。
なかなかお邪魔できなくてごめんなさい。
またこっそりお邪魔する事があったら、
その時は温かく迎えていただれば幸いです^^
先日はお越しくださいましてありがとうございましたm__m
by あの遠い夏の思い出 (2006-01-31 19:00) 

パチ馬管理人

こんばんは。
すごくすっきりしました。
>堀江は敢えてそういうことを口にするのを自分の生き様の美学として持って>いるから、なんというか、有限実行的な、敢えて叩かれるような、挑戦状的>な過激暴論をさらっと喋り、長老の感情を激高させ、それでも勝って見せ
>る。とことん屈服させて、旧来のしがらみや古い価値観を排除しようとした>のだろう。

実は、こういう捉え方をしてくれる人が、どうしていないのだろうって
苛立っていたところだったので、すごくすっきりしました。

>だって、自分の突き進んでいく道が確信できているのだから、あとはひたす>ら頑張って、本気で生きていればいいんだ。頑張っていればいいのだから。>こんなに楽な事はないだろう。

いつもいつも、丁寧で前向きな文章、素敵です。

って言ってる間に、自分もがんばらなきゃ(笑)
ではまた!
by パチ馬管理人 (2006-02-01 00:24) 

俺

皆様、コメントありがとうございます。
最近コメントが減り気味なのでいささか心配していましたが、いただいている皆様のコメントは大変刺激があり、ためになっています。いつもありがとうございます。
やっぱり、自分自身がよそ様のブログを訪問したりきちんと読んでコメントを書かないと、こっちにもお客は来ませんね。あと、こうしていただいた貴重なコメントにもっと早くお返事することと、あと、TBを打ちまくるのはとっても効果ありだとつくづく感じています。
以上、いずれもマメにやらないといけないのでしょうが、なかなか時間がなく、どうしても義務化しちゃってる感があったので、ここ数日コメントへのお返事が遅れていました。もっとも、ソネブロが重かったり勝手に消えたりするのが最大の原因ではありますが。

>秋桜 さん
そうなんですよね。「専門を持て」とはすなわち自分の転職となりうる大好きなものを見つけることなんでしょうね。それが出来る人は幸せだし、小生のように、それが何なのか具体的には分かっていないけどとりあえず与えられた環境の中で前に進むだけ進んでみようと思う人間は、頑張って見つけていくしかないのだと思います。
是非、お子様にも当ブログを推奨していただければ幸いです。

>あの遠い…… さん
ご多忙になられるということで、頑張ってください。小生も「データイムに自分が3人ほしい」なんぞ言いながらコツコツ生きていきます。
写真、素晴らしすぎます。

>パチ馬管理人 さん
最近訪問できずすみません。いや、訪問はしてるのですが、コメント欄に足跡を残すまでには至らず…でも、きちんと読んでますので。
なんだかしらないけど、前向きに書くしかないっていう直感でいつも書いてしまうんですよね。こうして言うだけ言って、言うだけ番長にならないように自分を追い詰めていって、かっこいい生き方をできればと思いつつ、ただただ日々の仕事に追われる日々です。
by (2006-02-01 02:07) 

俺

余談。

この記事、小生としては今年に入って一番の出来ですわ。自画自賛で恐縮ですが。
元来小生は2ちゃんは見ない・書かない主義者なので、2ちゃんねるという所の管理人の発言を引用に使うことはためらいもありましたが、しかし実は面白いことを書いてるんだなぁと思ったので、素直に引用・紹介いたしました。
by (2006-02-01 02:09) 

はなぽん

俺さんの記事はどれも秀逸ですが、私も一番の出来、だと。
正直に言って、他の人のブログを訪問するとき、
「大体でいいや」って読み方をするケースもままあります。
が、こちらに伺ったときは真剣に目を見開いて読みますよ。
内容があるから。一字一句、逃したくないから。
これからもどうぞよろしくお願いします。
風邪に気をつけてお過ごし下さいね。
by はなぽん (2006-02-01 08:01) 

seikoh

俺さん、こんにちは。
遊びに来てくれて有難う御座います。
がんばって小説を書いてみました。
実は賞金目当てなのですが。
こんな長い小説を書いたのは初めてです。
文章もひどい所があると思いますけど、よかったら読んでみて下さい。
出来たら感想をひとことお願いしたいです。
デリケートなのでオブラートに包んだ感想をもらえたら嬉しいのですがエヘヘ。
では、また。
by seikoh (2006-02-01 16:16) 

えいこう

ひろゆきさんという方の発言も、興味深く拝読しました。
自分自身だけを見た時には、こういった考え方も成り立つでしょう。
あとは他者との関わり、他者の利益とどう折り合いをつけていくかですね。
by えいこう (2006-02-01 23:53) 

先日はご訪問くださりありがとうございました<(_ _)>
ヨン様のアイコン、ちょっとしびれました♪
早速遊びにきました!
ボクにはまだ難しいコトはわかりませんが・・・地道に頑張るのが一番いいのかな~と思ってます!まぁボクはマイペースで毎日を過ごしていますが(>_<)
by (2006-02-02 08:01) 

俺

こんばんは。皆様、コメントありがとうございます。
ま、なんだかんだでやっぱり頑張るしかない、頑張れないやつに気を遣う必要はない、そんなことを思う今日この頃です。悪平等というのはだめですよね。やっぱり。
by (2006-02-04 00:15) 

とと

こんばんは~.
面白い記事には,是非TBしたいと思っておりましたが,なかなか中味のあるものは書けそうもないのでコメントにてお邪魔することにしました.

私は,どっちかというと結果主義の人間です.いくら努力しても成果にならなきゃ無駄骨です.その点では,ひろゆき氏と同意見かな.
でも,だからといって努力しないで成果が得られるとは思わないんですよね.たまたま運をつかんだだけのように見えても,その運をキャッチするには明確な目標を持つことや,タイミングを逃さないセンス・腕力も必要で,これだって立派な努力だろうと思うわけです.また,自分の好きなことで身を立てる人にとっては,努力そのものが楽しいことである場合もあり,本人が努力と気が付いていないこともあるでしょう.これは全く幸せなことだけど.

ところで無駄骨になった努力ですが,実はこれも全て無駄骨だとは思ってなくて,本人の努力が真剣であればあるほど,次のチャンスにつながるのではないかと思っています.

・・・なんだ.結局私も,古いタイプの人間なのかな?
by とと (2006-02-04 22:51) 

俺

コメントありがとうございます。全く同感です。努力に無駄なものなどないと小生も考えています。それに結果が伴うかどうかということで評価されがちですが、実はその「結果」というもの自体、今この一瞬、目の前での失敗が必ずしも全てかといったらそうではなくて、今は失敗という評価を得ていたとしても五年後には「やっぱりあの時君は成功だった」と評価が変わるかもしれませんし、失敗をふまえて学習して次のステップへ行けるとも考えたら、失敗が必ずしも悪いこととは限らないわけです。
なので、無駄骨の努力が世の中に本当にあるかどうか…と考えると、やっぱり行き着くところは「頑張るしかないんじゃないか」となるのです。
by (2006-02-07 00:46) 

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