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村上ファンド問題から見る新時代への展望と疑問 [主張-時事]

最近騒がれている村上ファンドの阪神株取得問題について一応触れておきたい。

端的に述べると、これはある意味ではとても意義のある問題指摘であり、むしろ野球界全体は村上氏へ感謝しなければならないのかもしれない。
ただ、反面問題もありそうだ。

村上氏が主張しているとされる(昨日の会見では多少柔軟な姿勢を示す発言をしていたので、あくまで報道側の主張も加味して「…とされる」という表現にしておく)
阪神タイガースという球団を上場しようという点に絞って論じたい。

この球団上場ということについて、「今後どうなるのかわけがわからん」「不安だ」「結局筆頭株主たる村上が口を出して支配するのではないか」という思いから反対の立場を表明するファンが多いようだが、どうだろうか。必ずしも不安要素ばかりがあるわけではないと思う。
そして、ファンは一斉に村上案への反動からか現状の体制を支持しているが、それは少なからず間違っていると思う。

今の日本のプロ野球界は、多かれ少なかれ既得利益やらしがらみやらに囚われた状態で運営がなされている。
というのは、どこの球団も親会社の傘下として、完全なる子会社として、親会社の広告塔としての役割が多分に課せられ、それをぼかすために、中和のまやかしのきれいごととして「スポーツという国民へ与える大衆娯楽の公共性」を主張している。おそらく株式上場に反対する人の多くはこの「公共性」を理由に挙げているのではないだろうかと思う。
しかし、村上氏も指摘するように、その公共性というのは非常に曖昧なものであって、例えば鉄道会社に公共性はないのかということが言える。阪神電鉄がある日突然経営難で鉄道事業から撤退し、運行しなくなったらどうする。通勤、通学はじめ、人々の生活に多大なる影響を及ぼす。
…と、この話をしだすと郵政民営化にも関わってくることだし、さらっと書きなぐるわけにはいかないのでこれはここでは割愛する。
つまり、「公共的な性質を帯びているのなら株式上場してはいけないのか?その基準は?」という議論があるだろうし、同時に「そこまで公共性を言うのであれば、現状の運営体制はその理念に適っているのか?」と指摘できるだろう。
つまり、親会社の広告塔という役割を持つ以上、親会社が手放す可能性もあるし、親会社がケチをつけてくる可能性もあるということだ。
実際近鉄という球団は昨年身売りされ、ホリエモンという門外漢を嫌った古いしがらみだらけの「権威」達の動きや、古田氏はじめ選手会の動きもあって、紆余曲折を経て今の形になっている。大阪近鉄バッファローズという球団の永久性は保障されていないし、実際近鉄は解体し、大阪にはもはやプロ野球球団は存在しない。こういう現状を考えると、どう見ても現状の体制がその「公共性」を確実に支えているとは言えないのは自明で、そうである以上その「公共性」の理屈を使って村上氏の動きを非難するのは筋違いだろう。

小生は率直な感想として、村上氏の動きはやはり「結局マネーゲームなんだろうな」と思うし、専門的なことは分からない立場なのでなおさらそういう一種の壁を感じる。
ただ、村上氏の主張する案には少なからず現状の腐敗しつつある野球界全体を変革させるパワーを持っている要素があるように思える。
それは、「ファン主体の運営体制に」ということだ。

つまり、我々の愛するプロ野球はわけのわからない利権目当てのおっさん達を排斥して、我々ファンが支えていきましょう、という体制にする必要があるのではないかと思う。
現状では球団に対して少なからずオーナー的存在の人物が権力を持っていて、わかりやすくするために敢えて固有名詞を使うと、例えば巨人という球団においてはナベツネという爺さんがいて、例えファンが望もうとも、爺さんが生理的に受け付けないと思ったら、中村紀という選手は巨人へ移籍してくることが出来ない。そのためには少なくとも髪の毛の色を黒くしなければいけない。こういった具合だ。古い事例で恐縮だが、こういう所に象徴されるように、ファンの声が時に軽視され、親会社の利益に適う方針が取られることがある。
それは当然致し方ないだろう。何故なら「親会社が出資している」のであり、親会社のためにあるのだから。
じゃあどうすればそういう鎖を断ち切れるか。出資者をファンにすればいいのだ。
これは我が師匠の案だが(実際某球団のオーナーの耳には入っているらしい)、
例えば「ファイトマネー」という制度を導入する。観客は入場料と別に一人100円持っていって、「こいついいプレーしたなぁ」と思った選手に人気投票のごとく、その100円を支払う。例えばその日とある選手が特大ホームランを打って3万人の観衆のハートを奪ったとする。敵味方関係なく絶賛される。すると、この選手に対して3万人の客が一人100円払う。ということは、この選手はホームラン一本で300万を手にすることが出来る。
多すぎるだろうか。いや、どうだろう。この選手が年間に40本ホームランを打ったとしたら、合計で1億2000万だ。まぁ単純計算だから他の要素もあるだろうが、今もらってる年俸とさして変わらないだろう。
その代わり、球団は選手に対して年俸なんぞいう制度はやめて、最低賃金の保証にとどめるのだ。こうすると、選手は自分の実力で頑張って稼がなければならなくなる。完全なる実力主義社会だ。でもこれによって今まで以上にプレーの質は高まるだろう。投手は下手に敬遠でもしようものならファンからブーイングを浴びるから真っ向勝負を挑むだろうし、姑息なプレーもなくなって迫力は増すだろう。そして、球団から指示されなくとも自ずからファンサービスをするようになる。球界全体がクリーンなイメージになる。

以上、我が師匠のアイディアだ。物理的には不可能ではない。ケータイ投票で電話代から集金という手が一番楽だろうし、現実的だ。
勿論弊害もあるだろうから、実現の可能性は薄いだろう。実力があってもファンサービスが下手な選手は扱いが低く、名前だけ売れてて、或いはイケメンだから、という二流選手ばかり試合に出るという危険性もある。
そして実際、海外ではスポーツ界でチームが上場したという例もあるが、その殆んどは「ファンが株を持つ」などという理想からは程遠く、大株主が株を取得してあれこれと「モノを言う」状態になったり、リストラや身売りがなされてファンが怒ったりと、うまくは行っていないようだ。
しかし、今より野球が面白くなることは明らかだ。何億ももらっていながらケガばかり…なんて選手に気を遣う必要はなくなるし、「給料が払えない」といって球団がいい選手を追い出し、結果その選手の貰い手がなくてやむを得ず引退しなければならない…ということもなくなる。何より年俸という制度が良くない。サラリーマンと何ら変わらないではないか。前の年の実績と期待値だけで一年間の給料が殆んど決まって、結果を出したらプラスというのは多少あっても、下がることはない。選手は球団に所属し球団から食わせてもらってるという意識を改めて、ファンに食わせてもらってるという意識を持たなければいけないのではないだろうか。
同時にファンも「俺らがこの選手を食わせてやってるんだ」という発想を持てば面白いだろう。

そして、きょう一番主張したいことは、こうした昨今の社会の動きから時代を読み取る必要が
あるということだ。

村上氏が推進する「ファン主体の球界」は、完全なる実力主義を推進しているのだ。
これはおそらく村上氏の理念でもあるのかもしれない。
この国は、もはや「親が誰だから」といった家柄やコネクションなど、身分差によって立場が
固定されるという時代を抜け出しつつある。昔は、家が貧しかったために頭が良くても大学に行かずに中卒・高卒で就職した、という時代だったが、今は違う。昔は、親が誰だから、ここの家の出だから、という血縁で社長になったり議員になったりしていた。しかし今は、どこの馬の骨か分からぬ26歳フリーターであっても、たまたま論文を書いて公募に応募して小泉フィーバーの波に乗ったら国会議員になれる。
そして、実力があれば、上に行ける。長年貧困生活を送っていたけど、実力ゆえに一冊の本が高く評価され、大金を得たという例もある。
これはとても素晴らしいことだと思う。まだ残念ながら完全になくなってはいないが、しかし薄くなりつつある。家柄や土地や親の職業に縛られるような世の中は早くなくなってほしい。

しかしこれによって、今までは明確だったがよく分からなくなってしまったものがある。それは「身分的な人間の評価基準」だ。
家柄が良くてもどら息子であれば堕落する…そんな時代にあって、基準が見えにくくなっている。
「実力」といったって、「私はすごいんです」と口に出せば認められる世の中ではない。
ここで、一つの価値基準として、「お金」が出てくる。
どれだけお金を持っているかが一つの実力を示す単位として使用されつつあるのだ。
だからこそ、「金が全て」「金さえあれば何でも出来る」ということをためらいなく発言できる人間が出現したり、実体の見えにくくただただ頭脳だけ、数字上だけのビジネスが成立し、物を作り出すこともサービスを行って収入を得ることもせず、「株を買ったり売ったりしてそこから利益を得て食っていく」というような商売が成立した。
これはつまり、「後付けの勝ち組」なのである。
最初に「頑張って努力すればお金が手に入る」「実力があれば金を手に出来る」という暗黙の常識が成立する。その次に、「とすれば、誰がどのくらい実力があってどのくらい努力しているのかは、その人の持ってるお金の量を見ればわかる」という暗黙の常識が出来上がる。そうすると、次にそこに注目した人々が「じゃあ自分の実力を高く見てもらうためにはお金をたくさん持っていればいいんだな」「いかなる稼ぎ方であろうと、金を持っていれば評価される」ということになっていくのだ。

勿論、全否定するつもりはない。そういう仕事をする人がいるというのは一つの時代の流れであり、そうした人たちが果たしてこの国にとってどれだけの効果を生むのかは分からないが、そういう仕事が成り立つのは現実であり受け入れるしかないだろう。

しかし……

「しかし…」のこの先を言いたいのだが、なかなかうまく言葉にならない。そういう時代の流れなのだと受け止めるしかないのだろうか。
完全なる実力主義というのは気が抜けない不断の努力が求められる社会であり、おそらくとてつもなく窮屈で疲れるしんどい社会だろう。そういう所でいい思いをするのは小生のような大真面目人間、仕事大好き人間、或いは巧みに金儲けをしていく人間、人脈と金脈を活用して狡くも金儲けをしていくことのできる人間くらいなものだろう。
そういう社会では、能力を開花させる人はきっと今の世の中の仕組みの時以上にいい仕事をするだろうし、国全体の国力というのも上がるだろう。しかし、同時にその実力主義のレースに敗れた者たち、ついていけない人間はおそらく相当な脱力感を覚えるだろう。そして、生きていく価値を見失ったり、或いは犯罪へと目を向けるかもしれない。それを「治安対策」云々で取り締まろうものなら、ますます窮屈で生きにくい社会になる。
だから、完全実力主義には期待もある一方怖いものも感じる。まぁおそらくそういう恐怖感を資本主義に対して感じた人々が誰しも格差のない共同生産社会の実現を目指したのだろう。それはそれで平和で穏やかだろうが退屈だろうなと思う。何より小生は悪平等というのが大嫌いなので、そういう社会には馴染める気がしない。

というわけで実力主義の社会へと移行しつつある昨今において村上氏の提案する阪神の上場案は非常に象徴的であり時代の先端を行っているのだが、しかし一つ引っかかることがあるのだ。

実力主義においてその「実力」を指し示す価値判断基準としての金がいつの間にか「金さえ稼げば」になっていないだろうか。村上氏のやっているようなビジネスはこの国にとってどのような影響を及ぼすのか。本当に数字の上だけの、パソコンの画面上だけの、情念も何も一切排したマネーゲームを多くの人がやり出したらこの国はどうなってしまうのだろうか。それが引っかかってならない。


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コメント 7

なるほど。インダストリー(産業、また勤勉)とビジネス(事業、また金儲け)との違いが「分らない」のがアメリカ人、「分っている」のが日本人という対比を聞いたことがあります。俺さんのお感じはまさにそうしたこの国の「良心」をおっしゃっている訳で、法的には確かに株式会社は株の持分で「支配(ホリエモンが言っていました)」できるし、その論理は誤ってもいない訳ですが、随分と(ここで言う)アメリカ的な価値に基づいた論理だと確認できますね。岩井克人さんの「会社は誰のものか」の結論は全然アメリカ的ではなく「社会のもの」という優れたご見識で書かれた「現代株式会社論」であることも思い出されました。
by (2005-10-12 18:37) 

俺

おっしゃるとおりでしょうね。おそらく高度成長期の日本人の勤勉さはアメリカ人には理解できないものだったと思います。同時に、今の日本が転換期を迎えつつある中で、どう変化していくのか、注目しています。ただ、実感として残念ながら、今の日本はあの当時、刻苦勉励していた時の精神を失いつつあるように思え、残念でなりません。
また「会社は誰のものか」の議論が今回はプロ野球チームに置き換えられて、議論が再燃していますね。多少違いもあるでしょうが、分かりやすくなったのかもしれません、街の声は一斉に「チームはファンのもんや」と声高に述べていますね。これについても村上氏の動きから考察の機会を与えられたわけですから、しっかり考えなければなりませんね。
by (2005-10-15 02:26) 

たかし

公共性云々を言う方の中にも随分と怪しい方がいらっしゃいますね。
上場してはいけないなんて・・・。もしいけないなら・・・の意見同感ですね。
一方、村上さん、ホリエモンに代表される方たち、これも怪しさ、危うさを感じます。ルール通りやれば何をやってもいいって感じを受けてしまいます。
しかし、旧態依然とした既得権益体制を打ち破るには必要な力とも思います。

こんなことを言うのもナベツネがきらいだからでしょうかね(笑)
by たかし (2005-10-17 17:31) 

俺

コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、両者とも危うさを感じるというのは小生も同感です。
ルールを守っていれば何をやってもいい…これはやはり違うでしょうね。
村上氏が一つ面白いことを言っていて、これもまた今の日本人の多くは気づいていない問題点だなぁと感心しましたが、村上氏は阪神問題に絡んで「上場しちゃいけないというルールがあるなら、そのルールを変えればいい」と発言していました。
確かに、その通りなんですよね。法律とか規約といった外的なルールは所詮一時期の決め事であって、それが絶対という思想はむしろ「それさえ守っていれば何をしても許される」という発想につながったり、おかしいと思うことでも「ルールがそう言ってるから」と意を曲げて従ったり…と、これは危険ではないかと指摘しているわけです。
ただその当の村上氏自体、阪神問題については「ルールを守ってはいるがファン心理、買収される側の心理をどこまで考慮しているのか」との指摘ができるでしょうが…
by (2005-10-17 23:36) 

びんごばんご

TBありがとうございます。

新参者がプロ野球の公共性を破壊する金の亡者として非難され、これまでファンを無視して本拠地を移転したり、球団を潰したりするのを容認してきた既存のオーナーがファンの目線に立った球団運営をしているかのように擁護されるのは、どうにも不可解です。放送や鉄道など公益性を求められる事業を行っている企業が株式を上場していているにもかかわらず、上場と公共性が相反すると主張するのも無理があります。

けれど、阪神上場問題をめぐるこうした議論はプロ野球改革について大きなヒントをあたえてくれます。一つはオーナーの変動を規制するよりも、オーナーの変動を容易にする一方で、本拠地移転や合併を厳しく制限する野球協約改正が望ましいのではないかということです。ヤクルトの古田は、球団上場についてこれに近い趣旨の発言をしていました。また、公益事業を担う企業が、一般企業とは違った法規制を受けているように、放映権料収入をいったんプロ野球機構が徴収して何らかの公正な基準で各球団に配分するなど、野球協約で球団経営に一定の規制を課して、プロ野球の公共性を確保する必要があるということも考えられます。

村上世彰の意図が何であれ、結果的に村上ファンドの利益になるなら、球界の既得権益を打破することにためらいがない彼を、こうした抜本改革を進める上で利用しない手はないはずだと個人的には思っています。
by びんごばんご (2005-10-20 23:50) 

びんごばんご

突然で恐縮ですが、この記事の一部を当方のブログで引用させていただきました。削除を希望される場合は、お手数をおかけしますが、コメント欄にその旨書き込んでいただければ、引用部分を削除いたします。どうぞご了承お願いいたします。
by びんごばんご (2005-10-21 21:28) 

俺

コメントありがとうございます。
そういや、テレビの放映権云々の問題も重要ですね。巨人戦至上主義の崩壊で、今の各局の動向はどうみてもネクラな印象ですね。やめたやめた~っていう。その中においてテレビ東京の「漁夫の利」的なパリーグ・プレーオフの放送は好評だったようで、来季以降各局の動きに注目ですね。

巨人ファンに限らず、プロ野球の放送カットに少なからず苛立ちを覚えている人はいるはずです。もしかしたらそういう人たちをターゲットにしてCS・BS加入させようなんていう魂胆があったりして……

ちなみに、引用されている記事を拝見しましたが、削除どころか、感謝です。取り上げていただきありがとうございました。
by (2005-10-22 15:10) 

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