SSブログ

何に基づいて裁くのか 5(最終) [雑記]

さて、冒頭に戻って。
これまで見てきたように、基準というのは人それぞれある。
たまたま裁判官は法という絶対基準があるだけのことで、
倫理観という基準、経済的損得という基準、腕力・暴力という基準、学力という基準…
それぞれの世界で強弱/上下/善悪等々の差が生まれ、格付けがなされていく。
ここで、違う基準を持つ同士が一つの利潤(=獲物)をめぐって争った時、
どのように裁いていくのかという問題が突きつけられている。
つまり、ライオンの基準で言えば実力で仕留めたライオンが一番だし、
キツネの基準で言えば頭脳で成功を呼んだキツネが一番、
ロバの基準で言えば、両者のお膳立てをした縁の下のロバが一番なのだ。

さて、どうやって解決させるか。
1.「みんな仲良く、三等分ね!」
平等とは思考停止である。
それで納得いかないから、戦争が起こる。
受験戦争がある。遺産争いがある。100m走がある。

2.「話し合いで解決しましょ!」
話し合っても話し合っても、ずーーっと誰も折れなかったらどうするのか。目の前の獲物は腐ってしまうか、他の誰かに横取りされる。
アメリカは、話し合いを拒み、イラク戦争を始めた。

3.「じゃあ、多数決で!」
前述の通り。多数決は今のところ議会制民主主義を取る多くの国で解決手段の常套とされるが、
「皆同じ一票かよ」という問題がはらむ。また、20対1ならともかく、20対19でも、
20の方の主張が全面採用されるのは、健全な解決には結びつかない。
もっと言おう。
100対1。 100人の馬鹿と1人の天才がいたとする。国家戦略を考えた時に、
多くの人が支持する意見を通すのが平和的解決なのか。
(もっとも、誰がどうその人を「天才」「馬鹿」と判断できるのかという問題がある。
時代によって、天才は奇人変人とされ誰からも相手にされないなんてこともある。
考えようによってはその時代にとってはその方がいいという場合もある。)

4.「じゃんけんで!」
数学的に平等なじゃんけんという手段。これもまた解決手段の常套とされるが、
せっかく実力で頑張ってきたのに評価が運任せかよ、という不満が漏れることは間違いがない。
「あいつは俺より頑張ってないのに、ずるい」となる。
(ここでもまた、「じゃあその『Aさんの方がBさんよりこのくらいたくさん頑張った』という評価は
誰がどうやってするのか」という問題が出てくるのだが。)

5.「こうなったら実力行使!」
結局20世紀に戻ってしまった。これが今の世界情勢(代表例:アメリカ)だ。
人は殺しあうことによってしか手をつなぐことができないのか。
「それは理想だ。じゃあ実際、北朝鮮がわが国に核を打ち込んできても、
お前は『わが国は武力放棄した』と言ってただ黙ってやられるのか」
という声に対し、残念ながら覆す主張を今私は持ち合わせていない。

もっとも、この国には武力・暴力を嫌いつつもどこか一方で憧憬の念を持って見るところが
つい最近まであった。清水の二郎長などの任侠話はその典型だろう。

「言って分からないなら殴って聞かせろ」というのもある。
武力・暴力は21世紀になっても、紛争解決手段としてこのまま君臨し続けるのだろうか…




ちなみに、この入試問題に出てくるライオンとキツネとロバの話、元ネタはイソップ寓話だった。
以下、全文引用
ライオンとキツネとロバが、互いに協力し合って狩りをした。大いなる戦利品を手にすると、
ライオンは、ロバに、協定に基づいて、狩りの報酬を3人に分配するようにと言った。
 ロバは獲物を正確に三等分すると、他の二匹が先に選ぶようにと謙虚に言った。ところが、
ライオンが突然怒り出し、ロバに跳びかかり食ってしまった。そして今度は、キツネに、獲物
を分配するようにと言った。キツネは、自分にほんの一口分だけ残し、その他は全てライオン
に差し出した。
 するとライオンがこう言った。
「おお、素晴らしき我が友よ。一体誰が、そのような分配の仕方を教えてくれたのだ? 君の
分け方は申し分がない!」
 するとキツネはこう応えた。
「このような分け方を教えてくれたのは、ロバさんの運命ですよ」


nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

nice! 5

コメント 2

hana

心得のない私がコメント書くのはなんとも恥知らずですが。
裁判員制度なるものを見つめた時、私は「マスメディアの在り方」という観点でスイッチが入ります。
一般市民の心を掴み、揺さぶり、煽動する力を持っているのは誰か?
所謂『世論』を作り出しているのは誰か?
私の価値観の礎となる環境と経験にメディアは存在します。微粒子のように。
世論に同調したがる人、天邪鬼な人、それぞれいるかと思いますが。
いずれにしても「裁判の行方も報道次第」といった不安をおぼえます。
長々すみません。
by hana (2007-10-06 03:22) 

俺

コメントありがとうございます。
そうなんですよね。メディアの力は非常に大きいと思います。自分の目でその事件を見れない以上、何を信じるのか、被告側と原告側双方の話を聞いても食い違うから分からない、となった時、拠り所となるのは報道だと思います。また、「自己判断」と言っても、過去の事例の分析・体系化によるものであって、それはどうやって仕入れた情報化といえば、大半はマスコミの報じるものなんですよね。
他の扇動を受けない自分の意見というものをどうやって持てるか、という問題も出てくるように思います。
by (2007-10-15 00:05) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

何に基づいて裁くのか 4若洲 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。