続・愛国心 [主張-時事]
一つ書き忘れた。
愛国心という単語を頻用すれば国を愛する気持ちが教えられるだろうというのも
何とも浅薄な議論である。
今の若者には、「国家」という主語がない。
「わが国は」「日本は」という主語を持って会話をしている人間がどれだけいるだろうか。
国という単位で物事を考え、発言するということ。国家という主語を持つこと。
これなくして議論は始まらない。
一つ書き忘れた。
愛国心という単語を頻用すれば国を愛する気持ちが教えられるだろうというのも
何とも浅薄な議論である。
今の若者には、「国家」という主語がない。
「わが国は」「日本は」という主語を持って会話をしている人間がどれだけいるだろうか。
国という単位で物事を考え、発言するということ。国家という主語を持つこと。
これなくして議論は始まらない。
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前記事と合わせて読み、おっしゃるとおりだと思いました。表面だけ、或いは形だけ繕ってみても始まらない。どういった事なのか、中身をしっかりと認識することが大切ですね。
愛国心についても、若い頃とは考え方が変わりました。昔は日本の国民性が嫌いで、日本という国も嫌ってました。
しかし祖国を大切にすると言うことは、重要だと思います。自分を愛せない者が、他者を思いやれるはずがない。愛国心と侵略戦争は、別問題と考えます。特に、今の時代にあっては。
by えいこう (2006-04-21 23:09)
「無意思・無関心」
突きつめて考えれば、これも今の日本が背負う「戦争の後遺症」なんじゃないかな、と思ったり・・・。
by nurumayubiyori (2006-05-03 04:16)
今の時代でどう考えていくか、ということに尽きると思います。昔を振り返ることでもなければ誰も予測も付かない妄想を語ることでもなく、今を見据えることですよね。
その今…本当に無関心な傍観主義国家になりつつありますよね。どうしたらよいものか。(←という嘆きもある意味では傍観主義的だ)
by 俺 (2006-05-16 01:04)