葡萄ジュース [雑記]
我々は貨幣経済を生きている。
物々交換の限界から、貨幣という制度を生み出し、全員が同じ認識を共有し
全員が信仰する事で紙切れと金属が我々の日常に台頭することになった。
しかし、価値とはなんだろう。
誰がどうやって決めるのだろう。全国共通、一律の価値観は存在し得るのか。
一本120円のジュース。場所によっては多少の差はあるが、定価は120円。
自販機に120円を入れると、当たり前のようにボトルが落ちてくる。
パッケージも、中身も、全て同じものとされている。
だから、我々は八百屋でスイカの底を押してみたりするような慎重さを
缶ジュースには求めない。信仰がある。
これを買った。いや、正確には120円分の貨幣と交換したのである。
貨幣経済の本質は交換である。
これを、ふたを開けて、飲んでしまった。なくなってしまった。
この120円は、どうなるか。
そこに液体は存在しない。0円だ。
下手したらゴミ処理代がかかり、マイナスになるかもしれない。
でも、このジュースがきっかけで目が冴え頭が冴え思考が冴えれば、
その人は世に120円以上の価値を送り出すかもしれない。
全ては、種だ。全て吸収して、芽を出す可能性があるのだ。
今朝、葡萄ジュースを買った。店員のおばさんと交わす、何気ない世間話。
その言葉に、寒さを忘れる。
そして、ウォームアップを終えた喉に、冷たいカンフル剤が投与される。
この葡萄ジュースで、一日が始まった。
朝7時半、汐留の駅。
例えば雪山で遭難したとして、手元に1万円札とキャラメルがあったとしたら
そこで価値があるのはキャラメルであり、一万円ではない。
キャラメルで生き延びることはあっても、雪山で一万円は紙切れに過ぎない。
そんな風に考えると、貨幣価値って脆いものですね。
なのに、そのために鉄筋の分量を偽って責任を擦り付け合って。
人間って何なのだろうと考えてしまいます。
あ、ご挨拶が大変遅れました。
私の拙い文章にコメントを下さってありがとうございます。
ちょうど2作目を書き終えて放心状態でしたので
1作目の「ボクが選んだボクの人生」について書いて下さって
本当に嬉しかったです。
余談になりますが、大の阪神ファンです。ファン歴、長いです。
これを機会に、どうか宜しくお願いします。
by はなぽん (2005-11-25 21:51)
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、貨幣価値の脆さは感じます。それが「集団幻想」「信仰」によって支えられているからでしょうね。
雪山も勿論そうでしょうし、それこそ戦時中の大金もそうですよね。いくら金を持っていようと、お店の人はそんな紙切れをもらったってそれで何か買えるという社会状態になっていなければ、貴重な米をあげなかったという…それを考えると、マネーゲームだの株だのM&Aだのと物質的な生産物を創らない職業への抵抗は…どうしても偏見になってしまいますが、やはり抵抗は消えません。
阪神ファンに悪人なし(んなこたないか)、こちらこそ、よろしくお願いいたします。
by 俺 (2005-11-29 23:46)
あまり気の利いたコメントが残せないのですが・・・
私、この記事の感覚がとても好きです。
by nurumayubiyori (2005-12-12 15:01)
ありがとうございます。これはもう第六感で書いてるような文ですので、多少夢の世界になってますが、お褒め頂き光栄です。
by 俺 (2005-12-13 00:12)