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言葉遣い [主張-時事]

最近テレビを見ていて、人々の使用する言葉遣いがとても気になって仕方がない。
と言っても「敬語が使えてない」とか「流行語云々」「誤った用法」といったことではなく、
人々が選び取って使用している言葉の指向が気になるのである。

 
きょう見ていただけでも多々出てきたのだが、例えば…

◆20年という節目に起きたJAL機の事故をふまえて、帰省ラッシュのニュース。成田空港にてインタビューを受ける女性。

記者:「昨日JALの事故がありましたが、不安じゃありませんか??」
女性:「不安な気持ちがないかと言えばウソになりますが……」

何故、一般人たる女性が、それも「帰省ラッシュのニュースのインタビュー」というシチュエーションにおいて、わざわざこういう言い方をしたのだろうか。
ストレートに「不安です」と言えば良いではないか。わざわざこういう表現法を用いるのには何か理由があるのだろうか。

最近の世の中を見ていて、言葉の使われ方でとりわけ気になるのは、2点。
一つは、「政治家でも学者でもない普通の人が、敢えて難しい表現を使用している」ということ。
補足:ここで言う「難しい表現」とは、日常使用語彙に含まれない、学術用語や専門用語、敢えて回りくどい言い方をするもの、などを指す。

もう一つは、「テレビの言葉遣いは一元的、単調、同じ言葉の使いまわしで個性がない」ということ。

前者の例を挙げると、その帰省ラッシュの女性もそうだし、昨日の「ステルス作戦」もそうだし、先ほどNHKのニュースを見ていたら、9.11関連のニュース中、米女性のインタビューを訳したもので「混とん」という単語がテロップに登場していた。

これはおそらく、「遊び心」というよりは、「難しい単語・用法を知っているということをひけらかしたい」という意図があるのではないかと思う。
彼らはおそらく、その語そのものが持つニュアンスや使用例・過去の使われ方を十分理解しないままに、自分の中で明確な差異をつけないまま、言い換えの語として使っているのではないかと思う。
例えば、普通に「縛られている」と言うのでは普通過ぎるから、敢えて「足枷になっている」という表現をしてみたり、「桎梏」という単語を使ってみたり。
これは、インテリ気取りに多いのではないかと思うが、なにぶん、小生の人生経験からの推測だから、サンプル不足で不十分だと思う。本当は違うのかもしれないが、少なからず小生が見聞きしたり人と関わってきた経験からは、そんな気がするのだ。
だから、空港の女性は「○○と言えば嘘になる」という用法をここぞとばかりに使ってみたのだと思う。
しかし、冷静に考えてみると、どうしてJALの不祥事に対する不安感を敢えて「不安がない」と言い切って直後に「嘘になる」というような言い回しをしたのだろうか。
多分彼女は意識していないだろう。しかし、「○○と言えば嘘になる」という用語は、必ずしも「○○だ」という断定の用語の置き換えにはならない。
この用語は、例えば…野球の試合に負けて決勝に行けなかった高校のキャプテンが、本当は心の中で涙を流しているのだけれど、自分はキャプテンという立場だからみんなをまとめなきゃいけないし、次へと気持ちを切り替えなければならないから、だから敢えて笑顔でみんなの肩をたたいている。そんな時、インタビュアーがキャプテンの所へ寄ってきて、率直な気持ちを伺う。打ち解けた会話の中に、思わず本音が出て、「内心、悔しいと思ってるんでしょう」「確かに、悔しくないと言えば嘘になります。でも、次へと気持ちを切り替えないとやっていけませんから、リーダーとしてしっかりみんなをまとめていきたいです」と、語る。
…こういう場面で使うべき用法だろう。JALの不祥事には正面から「不安で仕方がありません」と言えばいいのだ。「不安じゃないと言えば嘘になる」…だったら何なのか。ニュアンスの問題なのでうまく説明できないが、これは若干違うように思う。

あと、「混とん」もそうだ。最近のテレビはやたらと平仮名を使う。「わかりやすく」を心がけているつもりだろうが、昔は漢字で書いていたものまで新聞・テレビでは平仮名を使うようになった。
これは、教養の低下を招くだけではないかと思う。「読み」と「書き」とは違う頭の使い方をする。例えば「憂鬱」という漢字は、正確に書ける人は少ないかもしれないが、読むことならできるという人は大勢いる。どうしても読みにくい漢字ならば、上にルビをふればいい。
そもそも漢字とは単なるアルファベット記号とは違う。その文字自体に意味があったり、一部パーツから読みが推測できたりする。そして、漢字の読み書きができない小学生でも、ニュースで頻繁に漢字に触れることで、その漢字を覚えていったり、その漢字が持つ意味、ニュースの背景、歴史や文化を学ぶことができるのだ。
それが何だ。「ちゅうちょ」って……平仮名ではその単語の意味が見えてこない。これには違和感を感じる。
さらに言うと、「分かりやすく」を心がけるのなら、何故「混とん」なんて単語を使うのだろうか。「沌」が読めないような人が「混沌」という単語の意味など知っているはずがないと思うのだが…

だから、どれだけ語彙を知っているかというテストをすると、高得点をたたき出すのだと思う。しかし、それがきちんと使えているかと言えば、疑問だ。昔は語彙力が多いほどその人の教養や知性も高く、見識がある人だという評価をしていたと思うし、今もそれはあると思うが、しかし、一見「桎梏」なんて単語を知ってるからこの人は知識人だと思ったら、とんでもない所で小学生レベルだったり、意見を言わせたら大したことなかったり…というアンバランスな状態になっている。

これは、ペーパーテストの勉強ばかりで「頭でっかち」になっている人間が増えている証拠だと思う。偏差値的な数字は高くても、感受性に乏しかったり、発想が貧困だったり…これがお受験戦争に勝ち抜いたエリート達の現状だ。
そんな連中より、難しい単語は知らなくても会話の中でキレがあったり、しっかりと己の芯を持ったり…そんな人間の方が本当はこの国には必要なのではないかと思う。
学力エリートは所詮、優秀なロボットに過ぎない。ロボットにはできない「ひらめき」は人生経験豊富な人間の方が長けている場合もある。そんな気がする。

さて、長くなってしまったが、後者の「同じ語彙の使いまわしで個性がない」ということにも一応触れておく。
これはニュースを見ていて、感じる。ここ最近の話題で言うと、今度の衆院選で、郵政民営化反対の議員の選挙区へ自民党本部が郵政賛成の対抗馬を擁立し、反対派議員を潰そうというもの。
このニュースについて、どこの局でも皆「刺客を送り込む」という表現を使っている。
確かに、最初に思いついた記者は発想力が豊かだと思う。しかし、それを皆が皆真似して、いつまでも使い続けているのはどうなんだろう、と思う。記者としてのプライドがないのか。誰かが名ゼリフを見つけたら、自分も対抗できるくらいのセリフを考えよう、とはならないのだろうか。毎日毎日同じ表現を使われると、いい加減辟易してくる。
これは、スポーツニュースで特に見受けられる。「値千金の逆転満塁ホームラン」とか、「横浜はまた借金生活」とか、それこそマニュアルじゃないが、何でもかんでも一つの名句が生まれたらそれに当てはめるというのは、文章を作って伝えるという職にある人間のすることではない。能がないというか、怠惰だと思う。
必ずしも勝率5割を切ったチーム全てが「借金生活」という一言で片付く状態ではない。その時々、全部異なる事例として考えられないのだろうか。
スポーツは特に、実際にその試合を見ていない人に対しても、単なる「2位」「5対3」という結果以上のものを伝え、興奮も汗も涙も全部伝えるという使命があるのだから、表現をマニュアル化してはならない。また、記者は選手の陰なる努力など、舞台裏を見ているのだ。そこで自分が何を感じ取り、何をどうやって伝えようとするか。それをきちんと考えなければならない。

さて、長くなってしまったが、最後に一つ。
名句を生み出すと言えば、最近では小泉首相が注目されている。
例の「感動した!」にはじまり、ワンフレーズでビシッ!と伝えるところが評価の対象となっているのだろう。
おそらく「明日を拓く」の熱心な読者の方々は、小生の最大の弱点に既にお気づきであろう。
そう、短く簡潔に要点をズバっと述べることが下手くそで、いつも長々とダラダラとあれもこれも詰め込んで書いてしまうくせから、なかなか脱却できないのである。
だから、当然俳句なんぞド下手くそである。これは本当に昔から苦手な分野なので、どうにか上手にできるようになりたいのだが、「短く」を意識すると、今度は中身のない文章になってしまう。つまり、ワンフレーズで多角的に何重もの層を積み上げる表現が苦手なのだ。悔しい……

決してそんな僻みからきているわけではないことだけは断っておくが、実は小生は小泉首相の名文をそれほど評価する気になれない。何故なら、彼のワンフレーズは明快ではあるけれども、含蓄がないように思えるからだ。
彼は最近記者会見で、とにかく「ワンフレーズ」に努めているのだ。これはある議員も証言していたが、小泉氏は「どうせテレビは俺がいくら色々と喋っても、短く編集してしまう。一番極の部分を述べてるほんの数フレーズしか使わない。それなら、最初から一言だけ言えばいいじゃないか」と考え、努めて短く簡潔に喋るようにしているらしい。
確かに、それは分かる気もする。前後のつながりがあってこういうフレーズを発したのに、その部分だけ切り取られることによって誤解される…こんな事例は山ほどあるだろう。まして、どれだけ見識のある人がモノを言おうとも、所詮テレビ局の人間の理解の範囲と都合とで抜き取られ、使われる。それはおかしいとは思う。しかし致し方ない。だから、ワンフレーズで言う。
しかし、それならそれで、もっと深みのある一言を言えないものかなぁと思う。「感動した!!」の一言は、確かに明快ではあるけれども、小学生の絵日記じゃないんだから、もっと色んな言い回しがあるだろうし、その中からその場の状態と自分の心中を的確に表す一言を選び取るセンスが欲しい。何でもかんでも「感動した!」の一言は、冒頭述べたインテリ気取りの「嘘になりますが…」と本質的には一緒だ。「借金生活」と一緒だ。全部単調なマニュアル化である。

政治家の放つ言葉は、敢えて一般人の理解できないような、普段使わないような単語だったりして、それが簡単な意味に多少曲解されて一般人の間で流布するということがよくある。
ちょっと前の例で言うなら、田中真紀子氏の放った「姑息」だろうし、小泉氏の「熟慮」もそうだろう。
おそらく、人々は「姑息」という単語を「ズルい」の言い換えという認識でしかいないだろう。

何度も言うが、「姑息」レベルの単語を知っているから教養があるというのは、間違いである。それは単に「知識がある」だけのことだ。肝腎なのは、どうやって的確なフレーズを選び取るかだ。それは小生も未だもって未熟すぎるし、上手な人というのはほとんど見かけない。


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俺

この文、今読み返してみたら民生の「愛のために」って曲みたいだなぁ…
本人曰く「3曲くらいに分けて作れるのに全部まとめちゃってて、勿体無い」というやつ。
どうしてこうも長くなってしまうものか。読む方としてはちゃんと読む気になれないですよね。
もっと簡潔に的確に文が書けるようになれば、読者も増えるのになぁ…。
どなたかにご指摘される前に、自己反省。
by (2005-08-14 01:11) 

えいこう

こんばんは。
前にも書いたかも知れませんが、話の展開が巧みで、論点に一貫性がありブレがない。俺さんの文章を、私はそう思っていますが。敬服しているうちの一つです。
それと、よくもまぁ一つの記事に、これだけ密度の濃い内容を盛り込めるものだと、逆に感心したりもしてます。
でもまぁ確かに、勿体ないかもしれませんね。記事を増やせるという意味では。
それと、内容がてんこ盛りなので、コメントする側にも相応の心構えは必要です(笑)。
さて本題です。
私も以前に「分かり易い文章を心掛ける」という記事を書きました。
着眼点は違うかもしませんが、誰が読んでも取り敢えず同じ意味にとって貰える事が大切だと思っています。なるべくそうなるように、心掛けてはいるのですが。
言葉足らずで意図が伝わらず反省。なんて事が、良くあります(苦笑)。
だから携帯電話マナーの記事で、
「誤解を受けていると思った場合は、コメントで対応させて頂く」
などと、言い訳めいた断りを書いたりするわけです。
適確な言葉選びというのは本当に難しく、苦労する部分ですね。考えている事を適切に表現するには、言葉が少な過ぎる。半ば八つ当たり気味に、責任転嫁したりして。
あと、同じ言葉が頻出しないように、類語辞典で調べるなんて事も良くやります。これは、小説を書く上で気をつけてきた事なんですが。
兎にも角にも。パソコンにインストールした一通りの辞書は、文章を書く上で欠かせません。姑息や憮然のように、本来の意味と違う憶え方をしている言葉もありますから。もっとも、言葉自体を知らなければ、調べようもないんですけど。
自分の書いたものを100パーセント客観的に見るのは不可能ですから、不安と戸惑いを覚えつつ、それでもなんかと向上しようともがきながら、書いている次第です。
私の場合、どうもコメントが長くなってしまうようです。特に、俺さんの場合(苦笑)。
by えいこう (2005-08-15 00:55) 

俺

そうですね。ご指摘の通りコメントしにくい状況を作っているとしたら、これは読み物としては完全でも議論を高める場に与える「きっかけ」としては不完全ですね。まだまだ修行が足りません…
「同じ言葉が頻出しないように、類語辞典で調べるなんて事も…」とありましたが、確かに小生もその手法を使用します。一つの単語では表しきれなくていくつも単語を詰め込んだりということも…
by (2005-08-17 16:15) 

中島茂信

いつもノータリンなブログしか書いていないので、毛色の違うブログを見てみようと思っていたところ、「俺さん」にたどり着きました。
自分の学生時代は、俺さんのような考え方はまったくしていなかったし、もっとウスラ馬鹿な学生時代をなんとなく過ごしていました。
いま、モノを書くことを仕事にしていて、言葉使いだとか、単語の選択に関しても、日々、常に考えさせられています。
俺さんも、日々、悩み、考える習慣をつけることが、今後役に立つはずです。
類語辞典を1冊求められるといいと思います。
出版社には校正係がいて、文字の直しや、不適切な単語はチェックされます。出版社によっても文字の使い方などが規定があります。たとえば、充分と十分とか、どちらを使うか決まっている場合もあります。
次元の低い話で申し訳ございません。
これから食の雑誌の取材で喫茶店に行かなければなりません。
今度、ゆっくり遊びに来ます。
by 中島茂信 (2005-08-24 08:57) 

ご訪問ありがとうございました。
言葉の使い方の乱れはマスコミにも原因があるといつも感じていたので、とても共感しました。
私も気をつけなくちゃ。
by (2005-08-25 12:15) 

俺

せっかくコメントをいただいていながら、放置していてすみませんでした。

>中島 様
確かに、類語辞典があると語彙が増えて微妙な使い分けもできるようになりますよね。
実は、最近俳句をはじめようと思っています。俳句・川柳が得意な人って、きっと短い言葉に思いや伝えたいことをまとめて凝縮できるだけでなく、そこにぴったり文字数が当てはまる単語をすぐにひらめける能力があると思うのです。同じような意味でも、複数の単語を知っていれば、的確にマスに埋められる。きっと、たくさんの単語を瞬時に出せる能力が求められるのだと思い、それが今の自分に欠けている文章能力だと思うので、挑戦したいと考えています。

>すずめ 様
確かに、世相を伝えたり教養を与えることができる点で、マスコミには国民を強化する役割があると思いますし、言葉遣いには慎重にならなければならないと思います。マスコミが生み出す言葉が乱れていれば、それに影響される視聴者も自ずと乱れていく気がして、最近の番組の数々には恐怖感すら感じることがあります。
by (2005-09-15 01:51) 

mana

自分も文章を簡潔に書く能力がほしいです。
情けないくらい言葉を知りません。文章となると相手の顔を見て話すのとは違い、ひとつの言葉で怒らせてしまうことも・・・
数行の文章でも慎重し時間が掛かってしまいます。
ブログをお持ちの方々がうらやましいです。
また、記事からずれちゃったようです。申し訳ありません。
by mana (2006-01-03 12:26) 

俺

コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、文章における表現力とスピーチ・会話における表現力は異なるものです。ただ、こうして長々と文章を書く人間が必ずしも話好きかと言えばそうではなく、むしろ喋り下手である場合が多かったり…なかなかうまくバランスがとれないものです。

文章を書くのが苦手な人は、まず「自分が普段喋っていること」をその感覚のまま文章にしてみてはいかがでしょうか。書く能力は自然に身につくものではなく、日々苦手でも書き続けていくことで、スラスラ書けるようになるのだと思います。
文をスラスラ書くためにブログをはじめて自分に義務を課すというのも手かもしれません。
文章講座は専門分野なので話し出すとキリがないのでこの辺にしておきます。近々記事にしようとは思いますが、小生程度の人間でよければ当ブログ上でアドバイスいたしますので、遠慮なくおたずねください。
by (2006-01-04 01:12) 

mana

俺さん、ありがとうございます!
やはり、秘訣はブログ開設ですか・・・
俺さんが呆れるくらいの酷さです。こんな未熟者がブログを始めては周りの方々にご迷惑をお掛けしてしまうので、今は俺さんのブログをはじめ色々な方のブログへお邪魔し勉強させて頂きます。
by mana (2006-01-05 02:37) 

mana

自分勝手なことばかり書いてしまい、人としての常識を忘れていました。
遅ればせながら、
明けましておめでとうございます
今年も二足のわらじを履き、お忙しい1年を過ごされることでしょう。俺さんにとって、良い1年でありますように…
by mana (2006-01-05 12:17) 

俺

こちらこそ、忘れておりました…
本年もよろしくお願い致します。

人の文を読んで吸収するというのもまた大切なことですよね。
小生の場合、そちらのウェイトが自分で文を書くのに比べはるかに少ないのが難点だったりします。
人それぞれ、向き不向きがありますよねぇ。
by (2006-01-07 00:24) 

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