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分煙 [主張-時事]

こちらの記事に刺激されて、少し思うところを書いてみる。

現在、タバコの害というのは今や誰しもが認識していることのように思う。
「害」というのはもちろん健康的な被害というのもそうだが、吸殻によるゴミ問題、副流煙による迷惑問題、タバコの火によるヤケド…様々ある。

まずはじめに小生自身とタバコとの関係について述べておこう。
小生は基本的に依存というのが好きではないので、「ドーピングしてまで記録を出したい」とは思わない。「そういうのに頼らず、やれる範囲で頑張ればいい」と思っているから、創作活動に没頭している際、タバコに依存することはない。
あ、でもコーヒーやガムを大量摂取することを考えたら、そんなきれいごとを言える身分ではないかもしれない。
そして、吸ったこともないやつが偉そうに…という誤解を解いておくためにも暴露しておくと、一応吸えることは吸える。しかし、吸うくせに副流煙が大嫌いなので、自分の煙で目が痛くなったりして、これはどうも相性が悪いのだと悟った。それで、「酒とタバコはハタチまで」をモットーに、タバコは10代で卒業した。

さて本題に戻るが、タバコを取り巻く環境はここ数年変わりつつある。小生が大好きだったあのセンスあるタバコCMは全面中止され、オフィスでは分煙が叫ばれ、タバコのパッケージには注意書きが大きな文字で列挙されている。
「吸いすぎに注意」って…じゃあ売るなよ!と素直に思うのだが、そこは商売だから仕方ない。しかし、吸ってくれる人のおかげで成り立っているくせに、JTというのは大変にいやらしい会社で、たばこ公社の分際でマナー向上運動なんぞをPRしたり、「ディライト」だかなんだか意味のわからない公共広告もどきのCMを流したり、あげく飲料や食品業界に手を広げている。
大体あのディライトなるCMはなんなんだ。子どもにJTが頑張ってることをPRしてどうする。親はヤムチャロウがどこの会社の出してる商品かわかって子どもに飲ませているのか。一番若い世代と関わってはいけない種の企業のくせに、どう考えても若い世代への浸透を狙っているとしか考えられない。
いい加減本音の統計を出したらどうだ。禁煙に成功する中高年が増えているのに売り上げが変化しないのは何故だ。それは若年層と女性の喫煙者が増えたからだ。辻褄が合わないように見えるのは10代の喫煙者の統計を隠しているからだ…。
奥さん、JTに気をつけろ!JTの冷凍食品のコロッケは不味いぞ(←これは本当)!!

また脱線してしまったが、本題に戻ると、タバコを取り巻く環境は変化している。しかし、どうも分煙が叫ばれている今の世の中に、小生は違和感を感じる。

まず、タバコを吸う側、タバコを嫌悪する側の双方に「自分が絶対、向こうはおかしい」という「タバコファシズム」的なものを感じてしまう。

タバコを吸う側=「高い税金払ってるんだから吸う権利がある」という傲慢発言や、「タバコのポイ捨ては道路を掃除している人に仕事を与えてやってるんだ」という意味不明発言。
タバコを嫌悪する側=「タバコは迷惑。兎に角世の中から消えてほしい」というシャットアウト発言。

どちらも、自分と価値観の違う人間を全否定しているようで、見聞きしていて心が痛む。もう少しカドの立たない言い方ができないものか、と。

タバコを吸う人に対しては、周囲に迷惑がかからないという状況を最大限考慮すべきだし、タバコを吸わない人はもう少しタバコを吸う人の事情というのも考えてあげてもいいんじゃないかなぁと思う。
「分煙」というのがその解決法としては最もスムーズなものかもしれない。しかし、これは女性専用車両の時にも述べたが、「自分と違う人間は排除。全部区分」という思想は危険だと思う。タバコに関しては「吸う」か「吸わない」かだが、それでさえ必ずしも二元論では語れないところがあるし、もっと広い視野で世の中全体を眺めると、差異というものは生じないはずはない。差異があってこその人間だ。一人ひとり皆違って、微々たることから大幅に向きが違っていることまで、様々な差異がある。

これを統一しようとしてきたのがかつての世の中だったのだろう。「町内会」というくくり、「宗教」「独裁国家」「強制」「校則」…皆、一つに束ねようとした。
しかし、大衆の反逆により手に入った自由は曲解され、「みんなバラバラでいいじゃん!」「個性を持たせましょう」となり、世の中の秩序は崩壊していく。

この思想を突き詰めていくと、最悪の結果として待ち受けているのは、「個人社会」だ。組織も所属も何も関係なく、人々が自分の世界に閉じこもる。嫌いなやつとは関わらない。学校はインターネットの画面で勉強。先生が気に食わなかったら候補の中から選択。そういうことになるのだろう。

しかし、これでは人間の成長はない。核シェルターで過保護に育てられ、親の教えに従順に、お受験していい大学に入っていい会社に入って…挫折なきまま大人になって、失敗を恐れている。或いは、初めての失敗に心を乱し、発狂してしまう……こんな人間が増えてしまってはだめだ。

クラスに嫌いな人がいたとして、その人とどう関わるか。
時にいじめられて辛い経験をしたり、真っ向挑んでケンカをして勢力図を変えたり、話し合って共通項を見出して仲良くなって…いくらでも方法はある。しかし、はじめから「あいつとは付き合わない」と逃げ出していては、何の成長もない。
嫌いな人も価値観が合わない人も全部ひっくるめて、世の中だ。何でも排除に向かう思想は危険であるし、当人の成長にもならない。
自分と相対するものを認める余裕がなくてはならない。

オフィスにタバコを吸う人がいたら、どうするか。まず、タバコを吸う人は他の吸わない人に対して全面的に気を遣う必要がある。そもそもタバコというものが登場することによって問題が起きているのだから、問題を起こしている張本人が対策を怠ってはならない。
同時に、タバコを吸わない人は何故世の中にタバコを嗜好する人がいるのかと考えてみる必要がある。
タバコを吸うことによって間ができる。ガツガツ仕事をして、間がないと、余裕がなくなる。一息ついて、間を置く。そのために、タバコに火をつける。これは大昔から今に続く人類の嗜好品の一つである。それを一概に「ガンになる」と斬るのは拙い。
「公害!あっち行け~」と言いながら灰皿を渡すくらいの余裕があると、円滑な人間関係が生まれるのではないかと思う。
何でも気に食わないものは受け付けない、では、互いに良い精神状態でなくなる。

「分煙」も一つの手段だが、完全に隔離で健康被害は軽減できても、双方入り混じった組織におい
ては、人間関係が希薄になってしまうのではないか。それは良くないことだと思う。

そもそもタバコを吸う人間がきちんと気遣いをしていれば、こんなことを全員が考えなくても済む世の中になるのだが…やはり、えいこうさんの言うとおり絶対悪が生まれているのかもしれない。とすると、ガンなんぞ、肺炎なんぞよりも、タバコにより引き起こされる一番の害はそういうことなのかもしれない。


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コメント 2

えいこう

こんばんは。
リンクを貼って頂き、ありがとうございます。
この記事に関するコメントとしては、私の記事に書いたコメントと概ね重なるでしょう。
現在私は喫煙者です。それを抜きに考えても、タバコそのものを全否定するのは違うと考えます。
しかし、副流煙が害を及ぼすという点に於いて、受動喫煙を強いるのは悪でしょう。やはり喫煙者が主張している意見の方に、違和感を憶えます。私の周りでもそういう意見は聞かれますが、正しいと信じて言ってるわけではないようです。肩身の狭い思いに対する、いわばぼやきといったところしょうか。
非喫煙者は、自身に落ち度がないのに被害を被るわけですから、やはり吸う側が最大限に配慮すべきでしょう。つまり、非喫煙者がいる場所では吸わない。それが双方の関係を良好に保つ、唯一の方法のように思います。
最後に、タバコによる一番の害が、人間関係の希薄としたところに、俺さんの慧眼を感じました。
私の方からも、トラックバックさせて頂きます。
by えいこう (2005-07-31 01:05) 

俺

ありがとうございます。確かに、非喫煙者は自分に落ち度がないわけですよね。それゆえ、よりいっそう努めて改善すべきは喫煙者側でしょうし、しかしながら「嫌いなものは線を引く」という思想の行き着く先には暗いものを感じます。その思考法で他のものも捉えるようになっていくと、世の中ギスギスしていくでしょうね。
ちなみに、えいこうさんは禁煙に向けて努力なさっていて、喫煙者・非喫煙者どちらの立場も踏まえて論じられていることに(小生なんぞがこう言うと逆に生意気に聞こえてしまい不本意ですが)とても素晴らしいと感じます。それゆえ、記事もとても納得がいきます。こうした見方をできるからこそ、「正誤は厳然と存在している」と言い切ることが可能になるのだと思います。
by (2005-07-31 01:29) 

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