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八つ当たり論 [主張-時事]

ま、そんなわけで苛々する事は日常誰にでも色々とあるわけだが…

しかし、バスに乗車拒否をされた人間が腹を立てたとして、その苛立ちを、例えば全然関係ないTバスの車体に落書きしてみたり、S川営業所K南分駐所にいたずら電話をかけたり、はたまた「むしゃくしゃしたから」という理由で通行人に手当たり次第殴りかかったとして、この行動は許されるだろうか。

当然、許されるはずもない。お縄頂戴である。

しかしながら実はこの種の犯罪が今世の中では毎日のように世間を騒がせていることに、お気づきであろうか。

ただ、そうした犯罪は必ずしも「ごく少数の異常な人間の異常な行動」ではない。だから、簡単に片付けられない問題を含んでいるのだ。

自分の発散できない個人的なストレスを、何か第三の人・モノにぶつけることで、解消しようとする。これは、実は誰にでも経験があることと言えなくはないか。
たまたま機嫌が悪かったから話しかけられた人に冷たく当たってしまった、とか、ゲーセンに行って思いっきりボクシングゲームを楽しんだ、とか、ストレス発散の仕方は人それぞれだと思う。ただ、その発散の仕方が必ずしも周囲に迷惑のかからない上手なやり方であるとは限らない。へたくそな人は、他人を同じ思いにさせてしまったり、はたまた犯罪につながってしまうことも…
放火、万引き、暴力等々……しまいには人が血を流す事態まで起きる世の中になった。

ここで、当然問題視されるのはストレス発散の方法が下手くそな人間である。それは何ら疑う余地もない。自分が辛い思いをしたからといって、その思いを他人にまで伝染させてはいけない。あるいはその「辛い思い」というのが自己の錯覚、思い込みである可能性もないとは言えない場合もある。どちらにせよ、自身がキレる「きっかけ」が与えられたとしても、その「きっかけ」のせいにしてはならない。
これは言うまでもないことだ。

実はこれと全く同じ事が、「ゲームに影響される非行少年」というテーマについても言えるのではないかと思う。
ある少年が、暴力モノのゲームや映画に刺激されて、同じような非行を何ら罪のない人間に対して行ったとする。ここで、昨今はその少年を問題視するとともに、「ゲームが原因」という捉え方をする風潮があり、それゆえにそのゲームに対しても責任を負わせる形で発禁・制限しようとする動きがある。
これはいささか問題であろう。自分が乗車拒否したことによって客がキレて、犯罪が起きた??知ったこっちゃない。そこまで予測できない。どんな理由にしろ、犯罪を犯した人間のもとへ責任は問われるべきであろう。



しかし、道義的に考えて、先ほどのバス運転手のとった行動は全く罪を問われないのだろうか。
確かに大抵は犯罪につながるはずはないし、そんな事で犯罪者に加担した一員として捕えていたら、キリがない。
でも、それで法的には正しいとしても、個人の心的な問題として、うまく処理できるだろうか。

「タバコのポイ捨てを怒られて、カチンときて、10分後我慢ができなくなって、たまたま目に付いた家の窓ガラスを割った…」
この場合なら、タバコのポイ捨てを怒った人に道義的な罪は限りなくないに等しい。

しかし、これならどうだろうか。
「タバコを吸っていたらいきなり見ず知らずの人に水をかけられた。その人は去ってしまったが苛立ちは収まらず、思わず暴れて灰皿を蹴飛ばし、たまたま近くにいた通行人に当てて大怪我をさせてしまった…」
確かに、蹴った本人が悪いのだが、冒頭出てきた水かけ野郎はそのままでいいのか。

この世の中で大勢の人間が同じ島の上で生きている以上、やはり他人に対して不快な思いをさせてはならないし、本人の意図なら言語道断、意図しなくてもできる限り他人には不快感を与えない努力を各々しなければならないのではないか。
無論、不快に思っても我慢する、不快に思わない大きな心を持つ、八つ当たりをしない…というのも重要だが、しかし他人に不快な思いをさせるということは極力なくさなければならない。
こうなると、やはり不快な思いをさせる物・者に対しては、いつまでも行・言動をやめない限り、何らかの抑圧すべき対処法を考えなければならないだろう。例えば先述のバス運転手に対しては「ダイヤよりも客への親切心を…」と訴えなければならないし、水かけ野郎は同じ嫌がらせをしてかけられた人の気持ちを分からせるか、それでもだめなら迷惑防止条例でも何でも使って改心させなければならない。

もう言いたいことはおわかりであろう。暴力モノのゲームや性的描写の激しいビデオ、こうしたものについても「他人を不快にさせてはならない」云々の理屈が通用するのではないかと小生は思っている。

あくまで個人的な意見としては、そうしたエログロナンセンスには一切の存在価値を見出さないので、どんな手段でも使って我が視野の入らない所へ追いやってほしいと思っている。しかしそれを言うと「偏見性」が強くなるので、ここではそうした私的嗜好・志向は抜きにして論じたい。

しかし、私見を抜きにしても、やはり巷で見受けられる作品類の中には、やはり異常なものを見出してしまう。
単なる「売れりゃいいでしょ」的なものであったり、「芸術性もクソもなくただ興奮してヌイてもらうためだけに作られたもの」や、「変態的趣味を全面に出したもの」…これらが、多くの人の努力で作られた映画作品と同じ棚に並んでいることには、やはり違和感を感じる。こうしたものを「表現の自由」という理屈で保護しようとする人間が多いが、「どこが?」と言いたい。「表現」など語ること自体が失礼な話であり、そうしたものを保護する必要などどこにもない。勘違いしないでほしいと言いたい。
ここ数ヶ月、様々な人のブログや新聞・雑誌記事や人の話を聞いてきたが、エログロナンセンス系のゲームを「有害図書規制」で押さえつけることへの反論は、大抵「自分が好きだから、絶対なくさないでほしい」か、「表現の自由を守るべき」のどちらかで、説得力ある意見は何一つなかった。
これを読まれて不快に思われる方がいれば是非真っ当な言語を使用し反論していただきたいが(そのためにコメント欄は開放している)、ただしその前提として小生の指摘する「表現の自由なんて言うが、自由は何にでも与えられる『自由奔放』的なものでなく、不断に獲得する努力をすべきもの。ただ『ヌイてもらうだけ』の作品に芸術性はないし表現もくそもないし、そんなものに自由を主張する資格はない。」ということ、これを踏まえて是非ともご反論いただきたい。これをクリアーできない感情論は受け付けないのであしからず。

ただし、小生は規制そのものには賛成しないということを付け加えておきたい。
多分予想される反論としては、上記の事を言うと「じゃあその『芸術性がある/ない』の基準はどうするんだよ」ということがあると思う。確かにその疑問はその通りなのである。
言い換えると、「何が『相手を不快にさせる行動』で、何が『相手が勝手に不快と思い込むだけの真っ当な行動』なのか」という基準はどうするのか、ということだろう。

それは、確か以前「男女間の欲望における諸問題」という記事で述べさせていただいたので繰り返しになってしまうが、実は基準などというものは人それぞれで、明らかに非道だ、そうでないというものはあるにせよ、グレーゾーンでの取捨選択は人それぞれ白と言う人もいれば黒と言う人もいる…という感じで、どちらが正しいか一個一個決定付けるのは困難である。

だから、先日神奈川県が有害図書指定によりあるゲームを店頭販売制限したことへ非難が集中しているのは、非常に理解できる。いや、当然だろう。なぜなら、県は「何が引っかかるか」という基準を明確にしていないからである。

そして、小生はそれ以上に危惧していることとして、県や警察といった公的な権力機関がこういう販売禁止・制限という命令を出せる状態というのは弊害を生むように思う。
というのは、これが意味するところは、明らかに100人中99人が不快と感じるゲームを禁止にしたところで非難は少ないだろうが、しかしこうした法的根拠を持つ制度が完備し、一度前例ができると、今度はそれが100人中8人しか不快と感じないゲームについても禁止になる可能性があるということなのだ。そうなると、それこそ「表現の自由の侵害」という話に発展する。

確か前回「男女問題の…」の記事で小生は「それでも明らかに悪しきと思われるものは多少強引にでも権力機関のトップに立つ人間の私的基準を用いた独裁的行使であっても潰すべきだ」と述べたが、それは小生の私見である。先ほど断った通り今回小生は私見を抜きに論じているので、これは食い違うように思われるかもしれないが、ご理解いただきたい。

つまり、不快なものをなくすために公的機関が動いてほしいというのは理想であるが、現実公的機関は神ではない。誰もが各々微妙に異なる価値観を持っている中で、誰もが納得できる判断基準を公的機関が持つことなどありえない。むしろ、公的機関に属する人の私見で事が動くという危険性を含むことになるのだ。

つまり、我々は「ご主人様、私を陵辱してください!!」なんて醜い映画が目の前で上映されていたとしても、よっぽど別の部分で(例えば監督がヤク中だとか)犯罪が起きない限りこうした映画は潰したくても潰せないのが現状なのである。
それを潰したくないという人間は履き違えた「表現の自由…」と説得力ない意見しか述べられないし、一方公的機関はそれを潰せる権力を持ってしまうと弊害を持つ恐れがあるので、できればそうした強引な手法はやらない方が良い。という世の中の現状である。

言い換えるとこうなるだろうか。
「一生懸命間に合おうと走ってくる客を乗車拒否する運転手がいても、その運転手が時間通りバスを走らせ事故を起こさない限りは、その運転手はクビにならない。」ということだ。

他人に不快な思いをさせる人間は世の中にごまんといる。小生自身も気づかないところで多くの人に迷惑をかけているかもしれないし(いや、確実にそうだろう)、それは改善できる部分では最大限改善しなければならないし、他人に対しても求めていきたいと考えている。

これをエログロナンセンスの業界に訴えるのは、無謀だろうか。
いわゆる「自主規制」というやつだ。
エロテロリストがなんとかオブジョイトイ!!なんて写っている雑誌を少年マガジンの隣に置かない、とか、サラ金のCMを朝の番組では流さない、とか、こうした自主規制があちこちで緩くなってきているのが現状だ。だからこそ公的機関が対策を講じざるを得ない状況になり、それに対する業界および愛玩者の反発があり…という現状なのだと思う。それをおそらく金儲けビジネスとして利益を被る人間は反対していくだろうし、日本人の美徳を強調したい団体はタカ派な政治家をバックアップしていくだろうし、きっとどこかでフタが空いてしまったパンドラの箱の周囲で飛躍した議論が展開されているというのが現状なのだと思う。

きっと無謀だろうが、良心に訴えたい。もう一度、「自主規制」しようよ。と。
自分たちで作っていて明らかに「芸術」の名にそぐわない作品は「俺らの努力がまだまだ至りません」と言って棚の隅の方へ移動すべきだし、見る側も安易に自分の趣味志向(=フェチ)を大衆に強要してはならない。
これが、「相手に不快な思いをさせないよう努力する」ということなのではないか、と思うのである。



さて、これを読んで不快に思われた方、申し訳ありませんでした。まぁこういう考え方もあるんだなぁと流していただけたらと思います。あなた方の嗜好を奪うつもりは毛頭ございません。
だって、自分自身で「公的な機関の抑圧はしてほしいがしてはならない」と言っているのですから…


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コメント 6

正己

「不快の連鎖」は断ちたいですね。
規制の話の方は、規制する側の権力を監視する強い力があれば何とかなるのかもしれません。その強い力がないのが今の日本ですが…。
by 正己 (2005-07-24 18:19) 

俺

コメントありがとうございました。
確かに、「監視する存在」は必要ですよね。「市民オンブズマン」というのもその一つなのでしょうが、機能させていくには難しそうです。
by (2005-07-24 21:59) 

えいこう

こんばんは。
この記事を読んで、何かジレンマのようなものを感じました。
或いは、理想に対する現実の限界、とでも言えばいいのか。
私も、理想は理想として持ちながら、どうにもならない現状を事実として、認識しているつもりです。
はき違えた自由の元では、自主規制という道徳に訴えるのは困難でしょう。欲望に勝てない理性とでも言うべき、現実が存在します。
一方公的機関による規制は、行き過ぎると歯止めが利かなくなります。そこに待っているのは、現状以上に歓迎出来ざる状態でしょう。
やはりここでも、個々人の責任が重要になると考えます。その行為の結果が、どういう事態を招く事になろうとも。

他者に不快(迷惑)を及ぼさない。もちろん、大切な事ではあります。しかし実害のない不快(迷惑)は、感じる(被る)側もある程度は我慢(容認)する事も必要かとも考えます。その点については俺さんも言及されていますが、私自身のブログでも追々触れていきたいと思っています。
by えいこう (2005-07-25 03:09) 

俺

こちらにもコメントありがとうございます。
ジレンマというのは確かにそうなんですよね。「ひとりひとりの心がけ」に喝!!を入れてしまっている自分としてはこういう事は極力言いたくなかったのですが、しかし最終的に多くの人が納得いく名案が思いつかなかったので(思いついた暁には松沢知事に手紙でも書こうと思ってます)、このように逃げるような表現で「自主規制しようぜ」なんてお気楽なことを言ってしまいました。心苦しく思いつつ…でも、確かにご指摘の通り、自由は履き違えてるわ、公的機関は行き過ぎるわ、で、ジレンマを感じるのです。
「個々人の責任」が重要なんですよね。それを認識していない人にいかに認識させるか。教育の分野にも絡んでくる問題ですね。
by (2005-07-25 22:35) 

westwind (Mononoke)

初めまして。ネットを浮遊してる者です。

>「個々人の責任」

例えばゲームであれば、プレイする側とプレイされる側を入れ換えて体験してもらうという形で認識してもらうしかないのかもしれません。

奉仕系の世界(メイドカフェ etc...)だと、入れ換え体験そのものをイヤがるかもしれませんが・・・特に“奉仕”度合いの高い物は。

ま、当人が入れ換えをどの程度イヤがるかによって、大っぴらにできる趣味等なのかが計れるでしょうから、不快度の指標にも転用できるでしょう。

#中には苦しみから逃れたくて、入れ換わってる人も居るかもしれないけど。

* westwind@周防国 *

[profile:Ore_200507252235]
by westwind (Mononoke) (2005-12-16 16:29) 

俺

こんばんは。
確かに、入れ替えというのは名案ですね。ノーパンしゃぶしゃぶとか、ブルセラとか、是非入れ替わってほしいものです。どれだけ自分が悪趣味なことを要求しているか…
そして、どれだけ自分が金に盲目して気持ち悪いことに慣れているか…
やる方もやられる方も、覚醒が必要ですね。
by (2005-12-18 01:21) 

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