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ホリエモン批評 [主張-時事]

これをずっとやりたかったのだが、書くには労力が要るので、後回し、後回しにしてきたが…いい加減機が熟したように思うので、思い切って書いてみたい。

ホリエモン批評というよりはあの世代全般の批評ということになると思うが、彼らはおそらく本気でネット社会が到来し、21世紀は「個人」の時代になると信奉している。むしろそうしていくのだと豪語しているところもある。
しかし、これは大変に危険な発想である。それは言うなれば「何でも手に入る社会」の実現を目指しているものだからだ。

我々人間の世界には欲求というものに対してそれを抑えたり防いだりする何かしら障壁が存在する。障壁にぶち当たる度に人は悔しがったり悲しがったり、それでも仕方がないから切り替えてまた次のステップを踏む。
こうして日々生きている。

これはまったくもって無意識のものだが、人間が生きる上での踏むべき順序である。

しかし、これが何でも手に入るようになるとどうなるか。

第一に、欲望の肥大化だ。最初は驚きがあったり手に入ったことへの喜びが大いなる感情として付加するが、しかしそれはやがて薄れる。なぜなら、人は慣れる。慣れるから、次はもっとすごいもの、もっと楽しいもの、もっとバージョンアップしたもの…と、際限なく求める。
そうすると、現状に満足できなくなり、やがて一線を越えてしまう。
そうしたとき、何が起きるか。今の現実社会に目をやれば一目瞭然だが、そうした人間が真っ先に行き着く先としては、オタクか引きこもりだ。
オタクというのはここでは自己の欲望を追求しすぎて一線を越えてしまった者を指す。例えば、自分の部屋に溢れんばかりのアニメキャラクターのフィギアを並べてニタニタしている画が想像できるかと思う。
引きこもりは、そうではなく、何らかの理由で追求できなくなってしまった者の成り果てだ。
何らかの理由、それがすなわち「限界」である。
本人は何でも手に入るつもりで際限なく追い求めていたのだが、例えば全部手に入ってしまってもう追い求める行為ができなくなったり、或いは本人の肥大化した欲望に社会が応えられなかったり、或いは本人の事情で、例えば小遣いがなくなって生活が破綻してフィギアが買えなくなったり…
どちらにしろ、健全な生活を送るのに差し支えの生じる結果となる。これが、今ホリエモン達が目指している分野においては、もはやオタクやマニアなど一部の人間だけの話ではなくなっているから、怖いのだ。「個の時代」とはすなわち、1億3000万人総オタク化を意味する。

第二に…長くなりそうなので、この続きは翌日へ。

ご意見・ご感想・情報提供大歓迎です。

P.S
試しに今「ホリエモン」でブログ検索してみてください。あなたがどんなジャンルの記事を望もうとも、そこに新着順で出てくるのは「ライブドア美人秘書脱いだ?!」ばかりです。ここに小生はネットの持つ限界の一つを見出すのですが…


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