SSブログ

取材の仕方 [主張-時事]

なにやらフラッシュの記者とカメラマンが逮捕されたとかで、ここ最近はマスコミの取材の仕方、報道の仕方について諸々の議論が展開されていることもあり、あやかって一言述べておきたい。

【フラッシュ記者逮捕問題】
まず、事の顛末は下記の通りである。
http://www.nnn24.com/35271.html
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00069565.html
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050506/K2005050600630.html
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20050506/20050506a4980.html

これについては、光文社のコメントが引っかかった。
「他人の敷地に立ち入ったことに関し、申し訳なく思います。取材現場での逮捕となると、これからの取材の大きな制約となることを危惧(きぐ)します」
前半部分については、明らかに謝罪の意を感じられない。取材の仕方、モラルという面には一切触れていないばかりか「~に関し」という表現を使うことで、「これ以外の部分については申し訳ないとは思っていない」というニュアンスを含んでしまう。そして問題なのは後半部分だ。「逮捕されるような行動をとってしまった」とは感じていないようだ。「危惧」と言ったって、明らかに取材班側に問題があるのは明らかだ。「近隣住民に注意されてもやめなかった」「『警察に許可を取っている』と嘘を言った」という事実が露呈されている今、光文社側の言い分に正当性は感じられない。そもそも自分たちがその場でどんな意図を持ってどんな写真を撮ろうとして取材していたのか、を考えたら、非難を浴びても致し方ない。

【福知山線事故におけるJR西日本の記者会見場】
編集されずにO.Aされた部分を見聞きしているだけでも、あれは明らかに記者たちのヒステリック性を窺い知れる。この種の光景は雪印問題の際もよく見受けられた。責任ある会社のトップに詰め寄り、非難の口調で質問を浴びせるということだが、見ていて非常に醜い。
これについては「自分がヒーローにでもなった気でいるのだ」という批判が顕著だ。確かにそれもあるのだろうが、それだけではないように思う。
思うに、本来記者の役割としては、悪事が埋もれていたらそこにスポットライトを当てて国民に切り拓いてみせる必要がある。それがジャーナリストとしての使命であるし、使命を全うしている以上「自分が切り拓いたヒーローだ」というプライドは持って良いと思う。しかし、あの記者会見場にどれだけのジャーナリストがいるか。所詮「いい画を撮ってきて」等デスクに言われてやってきた人間だろうし、所詮は自分が休みの日は他人が記者会見に出席する、なんていうサラリーマン記者だろう。日常にスポットを当てて事件を探していったり自分の足で現場に出て何が深層なのかを追求したり…なんてせず、起きてから初めて動き出して記者会見の発表を聞いて原稿を書くだけ。こんな今の記者達にジャーナリストの資格などない。故に、記者会見場でヒーロー気取りしてJR西日本を罵倒する資格もない。
また、冒頭に述べたとおり、「それだけではない」と思う。もう一つ、ヒステリックになる理由として、「わざとその場の空気を感情的にさせ相手も興奮させ、ついつい本音を漏らしてしまう環境にさせる」ということがあるように思う。感情的に激高させ、本音を引き出し、それをO.Aする。これは汚いやり方ではあるが今日の取材記者の常套手段になっているように思う。「おもしろい画が撮れる」からだとも言えるかもしれない。
ちなみに、「雪印」や「JR西日本」ではよく見かけるこのヒステリックな会見が、橋本龍太郎先生の事件の際には何故見かけられなかったか。これは「言わずもがな」なので考えていただきたいと思う。こういう内情があるから「所詮サラリーマン記者だ」と言いたいのだ。
(誤解がないよう予め言い訳をしておくが、ここでの「サラリーマン」というのはサラリーマンとして働いている人を批判するものではなく、「自分の仕事に誇りを持ったりオリジナルを追求するでもなく、ただ給料をもらって決められた仕事をこなすだけ」という仕事の仕方を批判するものである。)

【石原知事定例会見】
これは個人的嗜好というより職業柄毎週見ているのだが、東京都の石原知事は毎週金曜日の午後3時から、定例の記者会見を開いている。そして、その会見はノーカットで3時から東京MXテレビでテレビ中継されている。MXはコンテンツが少ないからか知事べったりだからかは知らないが、その日の夕方ニュースで数項目取り上げたり、夜と翌朝に会見の再放送をし、そして月に2回「知事会見ダイジェスト」なる番組まで作って知事の会見を放送している。でもこの午後3時の会見中継は知事入室から記者との質疑応答まで全てノーカットで放送されているので、東京MXテレビが視聴できる方には是非一度見ていただきたい番組だ。
さて、この知事会見、他県の知事も行っているのだろうし見たことがないので想像しかできないが、少なからず東京都に関しては、無言のルールが出来上がっている。東京都から(或いは知事から)発表がある際は冒頭述べ、その後質疑応答に移るというスタイルになっている。そして、記者は質問する際必ず「○○新聞の××ですが、」と名乗らなければならない。それを忘れていきなり質問を始めると、知事が「お前どこの誰だ」と突っ込んだりする。
そしてこれが一番言いたいことなのだが、この記者会見場、現知事の性質から時折大爆笑を呼んだり時折熱弁を奮ったりと、終始見ていて飽きない会見ではある。ただ、そこには「知事持ち上げ」という無言のルールが存在しているように思う。
例の「議員の年金未納問題」が流行った頃、一部マスコミで「石原知事も…」と報じられた。そして、その週の定例会見。当然突っ込んで面白おかしくするだろうと思いきや、記者は誰もその件に関して質問をしない。ここに、先ほども述べた「言わずもがな」の慣習が存在しているのだ。
先ほどのJR西日本の会見と違ってヒステリックな醜いやり取りは絶対に存在しない。名前も名乗ってきちんとスタイルが確立されていて…と見ていて健康的な記者会見ではある。しかし、答弁者を持ち上げる体質はある。
まぁ年金問題はくだらない話なので敢えて質問する必要もなかったとは思うが…きちんと礼節を持って接することと、持ち上げることとは全く違う行為である。それを記者は分かっているのだろうか…と考えたりもする。
一時、面白い(というか空気の読めない)記者がいた。毎週テレビで見ている人は知っていると思うが、M新聞のG記者だ。若手の女性記者で、小生に言わせれば常識がことごとく欠如している、どうしようもない記者だ。あれでよく天下のM新聞に入社できたなぁと思うくらい、態度が悪い。知事相手だろうがなんだろうが、平気で失礼な質問の仕方をする。しかもなぜか知らないがキレながら話す。これには知事も最初激怒していたが、そのうち相互に通じたのか、裏でM新聞のお偉いさんがご機嫌を伺ったのか、「反骨精神のあるやつだ」と認めたのか、知事も激怒しなくなった。会見が終わって帰りがけに「ほら、あれがかの有名なMのGさんだよ」と紹介し照れ笑いをするG記者がテレビに映ったりもした。
そして、最近は…質問をしている場面を全く見ない。他部署に異動したのかもしれない。

きょうは敢えて「こうあるべき」と結論は述べず、対照的な二つの記者会見を紹介するにとどめておきたい。
というよりは、きちんと自分の仕事に誇りと自覚と責任とを持って日々動き回っている記者がどれだけこの国にいるのか…と考えたら、マスコミ自身が腐敗している以上、記者会見のスタイルも何も論じても詮無いことだと思ってしまった…。


nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(46) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 8

Jonathan

はじめまして。

「生命は、死を恐れない。死の面前で、笑いながら、
踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでゆく」

魯迅の言葉です。

地球規模で考えれば、一方で死者が出て、
一方で遊びに興じて美味いものに舌鼓を打つ。
こういう現象は日常茶飯事に起きているのでは?
ぼくも事故当日はビリヤードに興じてました。
ソマリア難民の飢餓や旱魃で日々死に行く子供達を見たら、
日本人(特に関西人)はまだまだ甘チャンだなぁと思います。
人類は万物の霊長と思いあがり、人間原理を振りかざし、
生きることだけに特別な意味や価値を見出そうとするから、
中途半端なヒューマニズムに走りがちになるのでは?
死ぬこともまた意味があり価値があるもので、
生きているものは全て土に還り地球の一部になるのです。
そして食物連鎖により、ありとあらゆるものとして循環します。
自然現象(地震や旱魃、水害など)も地球が生きている証拠で、
人間も地球の一部(というか寄生虫?病気?)に過ぎないのです。
これがごくごく自然な現象であり現実だと思います。
最近のマスコミの論調を見ていると、そういう現実から逃避して、
他の事物に責任転嫁し過ぎなのではと熟々思います。
孫子の兵法(他を知り己を知るは百戦危うからず)じゃないですけど、
とってつけたような正義面を提げて、JR西日本(特に垣内剛社長)を
利益優先主義と槍玉に挙げる前に、まず自分達が視聴率第一主義である
ということを認知して貰いたいものです。
この大事故の当事者であり、本来なら集中砲火を浴びせられたであろう
JR西日本労組書記長のニヤケ顔を全国のお茶の間に流し、
マスコミは十分視聴率や購読料を稼げたのでは?
ボウリングや宴会に興じていた社員はみんな非番でした。
じゃあ同じJR西日本でも和歌山電車区なら許せるんですか?
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺がありますが、今のマスコミの
報道姿勢は、どこかの痰壷チャンネルのような向きが感じられます。
http://www.ii-park.net/~arimoto/
by Jonathan (2005-05-07 15:57) 

豚足の奇行氏

>思うに、本来記者の役割としては、悪事が埋もれていたら
>そこにスポットライトを当てて国民に切り拓いてみせる必要
>がある。それがジャーナリストとしての使命であるし、使命
>を全うしている以上「自分が切り拓いたヒーローだ」という
>プライドは持って良いと思う。

私もこの意見は賛成です。
ただ、今回思ったことはJR側の会話も論理的ではないが、ジャーナリストも負けないくらい論理的ではないシーンがあったと思います。
それはJRがボーリングのやっていた人に続いて、多くのひとが宴会や旅行などを行っていた、という報道です。
「それがすべてですか?」
というジャーナリストに対するJR側の答えは「今わかっている限りでは全てです」という答えだった。私はこのJR側の答えは非常に論理的であったと思う。これに対してさらにジャーナリストは詰めより、「なぜ、すべてがわからないのですか?」と。
私は恐らく全てはタイムマシンでもない限り、わかり得ないと思う。そこまで社員は心を開き得ないと思う。

ジャーナリストに対して思うのは読者にとって興味を引く記事を書こうとするのではなく、JRを改善させる、ということに集中してほしいということ。利益重視であることがJRとジャーナリストとがダブって仕方がないです。
by 豚足の奇行氏 (2005-05-08 23:01) 

ふう薫

TBありがとうございます。
記者の白熱っぷりは上からの命令か、はたまた上が元々そうゆう性格の者を
会見場に送り込んでいるかは定かではありませんが
何か違和感を感じますよね。あの会見風景は。

ただ、ああゆう演出ぶったことをするとあたかも視聴者が
言いたいことをあの記者の人が言ってくれてる!的な感覚を
捉え方によれば得ることも出来るので、ある種の臨場感が狙いなのですかね。
何かこう大きい者を叩く快感とでも言うんでしょうか…。

表立ってはいないにしろ今のマスコミに何か違和感を感じている人は
少なからず増えてきている気もします。
by ふう薫 (2005-05-09 01:13) 

こも@一生長崎人

TBありがとうございます。

国民の知る権利を実現させてくれるマスコミですが、
果たして送別会がどうの、ゴルフがどうのが知りたい情報なのか、
極めて疑問です。
よく「実社会と乖離した云々」と企業や役所を非難しますが、
マスコミも読者、視聴者が本当に何を求めているのか
分かった上で取材をしていただきたいものです。
by こも@一生長崎人 (2005-05-09 01:31) 

藤枝@徳次郎

みんなが聞きたいことを 代わりに聞く。だから、そこにはヒーロー意識も 愚問もない。素直に聞けばよい。JR西も乗車していた運転士から事情聴取していた。にもかかわらず 報知新聞が最初に報じた「事故車に運転士2人」で初めて会見で追及されて公表した。ボウリング、懇親会でもそうだ。参加人数が発表するたびに増える。どうせ調べればわかることを なぜ隠す。調べたそのもを 素直に発表すれば いいものを「誰かに」お伺い立てて 取捨選択するから おかしくなる。真摯、誠実、素直ということが まったく当てはまらない 体質なのだろう。
 確かにメディアスクラムの醜さも出ている。だが、逆にあんな形でなければ すべてJR西サイドは素直に対応できただろうか?ノーだろう。
by 藤枝@徳次郎 (2005-05-09 02:57) 

AA

TBありがとうございました。
マスコミは虚業なりとは友人の言ですがうまく言ったもんだと思います。
by AA (2005-05-10 22:57) 

松岡美樹

トラバ、拝読しました。確かにフラッシュの事件については、過熱報道のツバ競り合いの中で陥りやすい問題だと思います。JR西に関しても同じことが言えますね。石原知事については、まあ会見は性質上、開く側にイニシアチブがありますから、ああいうものだという感想です。ただ石原知事自身の人間としての面白み(いろんな意味での)が、コンテンツとして非常に有効に生かされたパターンだと思います。ひと言で言って、あれはおもしろいです(笑) それではまた。
by 松岡美樹 (2005-05-19 00:31) 

俺

いまさらですが…
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/05/72_a28b.html
こちらを拝見し、もしかしたら小生はやってはいけない事をしてしまったような気がしてきました…
当事者でない人間として、一面的な考察は避けなければなりません。FLASH記者逮捕については、もしかしたらその報道そのものが実は全て虚構であったのかもしれません。
勿論、このブログ記事の方が誤報である可能性も否定できません。
ただ、大事なことは事実を明らかにすることではなくて、そこから何を得るか、そこからどう議論を展開させるかということだと思います。
というわけで、事実がどうであったかという点については、フライングとも言える発言をしてしまったことを深くお詫びするとともに、再発防止に努めたく思います。
by (2005-05-22 03:15) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 46

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。