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ホリエモン考 2日目 [主張-時事]

引き続き、ホリエモン世代が情報分野を皮切りに目指す「個の時代」「何でも手に入る時代」の危険性について論じたい。
当ページを初めて開かれた方は、まずはじめにこちらをご覧いただきたく思う。



その危険性としては第二に、視野の狭小化が挙げられるように思う。
欲望が肥大化する一方で、狭く一面的になっていくものがある。それはその人自身の心の視野である。
どういうことかというと、例えば我々は今ニュースをテレビや新聞を通して見ている。
そうすると、そこで我々が見ているニュースは受動的なものである。
自分でプログラムを選んでいるわけではない。テレビ局側の配信したものをそのまま受け入れているのである。
ここにおそらくホリエモンは「つまらなさ」を見出すのだろう。「なんでテレビ局がチョイスした順番じゃなきゃいけないのか。俺はもっとこっちに興味がある。このニュースは見たくない…」と。
つまり、個々のニーズに対応できるよう、視聴者側、受け手側が見たい素材を取捨選択できるようにしようというものだ。
これは、確かにある程度はできた方が良いと思う。確かに、どの局も連日若貴ばかりやっているのは退屈だと思う人は、それ以外のニュースをやっている局を選べた方が良い。
しかし、これもやりすぎると危険である。

あまりにもピンポイントに、多チャンネル化を進めると、まず第一に視聴者側の負担が増える。
我々は自由を望んでいながらいざ自由が手に入るとどうしていいかわからない、という性質を持っている。「このテーマ難しい」「もっと簡単なのを」と規制・束縛への抵抗こそ激しくするものの、いざ「じゃあ何でも自由に書いていいよ」と言われると鉛筆が進まない、小学生の作文のようなものである。
もっとわかりやすく言おう。明日からあなたの家庭のテレビは50000チャンネルになります。好きなものを見ていいですよ。と言われたとして、どうだろうか。50000チャンネル…選ぶだけで日が暮れそうである。
そして第二に、そういうことをやると、局側の負担が大幅に増える。枠がひとつしかないからその中で厳選して番組を一本に絞って制作していたものを、何でもかんでもやれとなれば、人も時間も予算も今のままでは到底追いつかない。
そうなると、テレビ視聴の有料化は当然進むだろう。これは、問題だ。今社会で何が起きているかを知ったり防災時の対応に利用したりささやかな夕食の団欒に利用したり…ということが貧困層にはできなくなる、なんてことがあってはいけない。これは民放については必ずしも当てはまらないが、マスメディアの役割の一つとしては、「国民の教化」がある。教養・娯楽を提供し世の中の時事問題を知らせるのは国家の義務であり、その手段として存在するテレビが貧富の差により制限されることがあってはならない。従って、最低限キー局くらいは無料で提供される状態でなければならないし、それを妨げてまで多チャンネル化を推し進める意義はない。

明日も引き続き論じるので是非お読みいただきたい。


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えいこう

以前、いずれ堀江氏に関する意見を述べるような事をお書きになっていたので、楽しみにしていました。最後まで拝読した上で、改めてコメントさせて頂きます。
尚、私の記事を含めて、頂いたコメントに対する返事も見ていただければ、堀江氏らに関して現在私が採るスタンスが、分かって貰えるかと思います。
by えいこう (2005-06-21 23:43) 

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