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夏の終わりに [紀行]

夏の終わりのある一日、西湘へと向かった。

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下町紀行! 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

久々に下町紀行。

【木場】
今回は、下町情緒溢れる…と思ったら大間違い、意外と知られていない二重三重の顔を持つ、
江東区は木場へ行ってまいりました。

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鳥瞰 [紀行]

空撮@横浜ランドマークタワー。



上北沢 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

…なんてくだらない記事書いてる暇があったら
早いとこシモキタ再開発の話してくれ、って思われてますでしょうか。

追記。やっとこさ記事書きました。こちらからどーぞ。

さて、下北沢があるなら上北沢があるんじゃないか、って。

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下北沢 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]


先日下北沢に足を運んだ時に撮った写真を一つ。

灯りに感じる、温かさ。

シモキタの良さは、「雑然」だと思う。

いつの間にかできてしまった街。下北沢。


台場 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

実を言うと、諸事情によりお台場には週2~3日通っている。だが、それは観光としてではない。

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小平 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]


↑これは小川町付近の玉川上水。

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堀之内 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

堀之内は堀之内でも、今回は八王子市の堀之内を取り上げてみたい。

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代田橋 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

東京紀行、書き始めた当初は新宿から始めて京王線沿線をしばらくは書き続けようと思っていたが、早くも笹塚で挫折していた…

代田橋といえば、有名なのは和田堀給水所である。
ここは建物のレトロな感じもまたいいのだが、春が特にいい。
年に一度、4月~5月にかけて一般開放を行っていて、中に入れるのは一年を通してこの約1ヶ月間のみである。
中に入ると、桜吹雪に圧倒される。とてもきれいだ。
そして、5月のつつじもまた良いのだという。

今年、4月の桜満開の頃、初めて中に入った。初めて飛鳥山に行った時以来の感動だった。
日柄もよく、弁当を広げている親子連れが多かったが、中にはレトロな建物たちをカメラに収める学生、のんびり散歩する老夫婦もいて、大変のどかで穏やかな風が吹いていた。

代田橋といえば、他にも高校時代とある工務店にお世話になった。文化祭でベニヤ板を大量に使用したく思い、役所に問い合わせたら選挙の際受注した工務店が回収・保管しているとのことで、ここを紹介してもらい、世話になった。思えばあれ以来重いものを運んだり恥を忘れて夢中になったりしていない…


百草園 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

当ブログ、開設1ヶ月を前にし、遂にアクセス数10000件を突破いたしました。大変多くの方にご高覧いただいたことに驚嘆・喜悦するとともに、感謝申し上げます。今後ともいっそう精進し、明日を拓いていく所存であります。

さて、話はがらりと変わって、百草園…いいところです。地味ですが。

…って、↑どこの風景だか全くわからんですね。
実は、百草園は山の上にあり、その道中にこんな山道をかき分けて上るルートがあったりするのです。プチ山登りを楽しむことができます。


陣馬 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

愛・地球博だお台場だ六本木だの騒がしいG・W。浮世を離れて山に登ってきた。朝の7時半に高尾山口をスタートし、城山・小仏峠・景信山・明王峠・陣馬山と、トータル8時間上り下りして歩いた。足はかなり痛くなったが、気力で行けるところまで行くというのがこの日の目標だったので、途中のなめこ汁やコーヒーを糧に、何とか完走(完歩?)することができた。
やはり上りは想像以上にキツく、自分の体力の衰えと日頃の運動不足も祟って、すぐに息が切れ膝が痛み出した。最初の休憩地点、小仏城山では「→相模湖」という看板が見えたので、いっそ目的地を変えて相模湖畔の風情に身を任せようかとも思った。しかし、妥協は許されなかった。一度決めた以上、何としても陣馬山まで行かなくては。その思いだけで、先の見えない樹海の道を切り開き進んだ。噂どおりなめこ汁は絶品だった。でも、やはり陣馬山頂に到着した時のあの開放感と達成感と爽快感が、この日一番の土産だったと思う。
眺めが、高尾山とは比にならないほど素晴らしい。かの有名な白馬も想像通り首をおかしな方向に向けて立っていた。
そして、13時頃に着いたので昼飯を食べようと茶屋に入ったのだが、その「陣馬そば」はなめこ汁以上に絶品であった。そして柚子シャーベットも。藤野の名産でありながら生産地が山梨なのはどうかと思うが、でも美味だったのでよしとする。
カメラと飲み物を忘れたのが痛かったが、しかし景色を楽しむ以上に忍耐力の限界に挑むのが目的だったので、その点は十分満足している。
帰りは運良く名物・ボンネットバスに乗ることができた。大変に満足な一日であった。

それにしても、登山のお約束は、道ですれ違った時の「こんにちは」。あれが好きだ。きょうだけで何十人、何百人と挨拶を交わしただろうか。こういう文化はずっと引き継いでいきたいと思う。


笹塚 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

高校時代、豚骨ラーメンにはまった。渋谷界隈、神保町界隈の各店はよく行ったが、笹塚にも甲州街道沿いに幾つかある。実際暖簾をくぐったことがあるのは一店だけだが、雑誌には色々と掲載されているので、一度探し歩いてみたい。
笹塚と言えば、あとはショッピングモールに幼い頃よく家族で出かけたことがある。正式名称は知らないが、「21」と書いてある所だ。新宿の手前ということで、ここは外部から集客をする街というよりは地元の人たちが電車に乗る前、帰ってきた時に立ち寄るという感じの商店街だ。電器店からスーパーから色々あったが、特に印象に残っているのは、2階のお好み焼き屋だ。先日十数年ぶりに入ってみたら、その小ささに驚いた。幼い頃よく行ったが最近行かなかった所というのは、なんと小さく感じることだろう。それは、成長せずに連れ添ってきた記憶との別離だ。もっとずっと大きいものだと思っていたのが、もっと魅力的だと思っていたのが…という哀愁が立ち込める。
この道の向こうにはどんな景色が広がっているのだろうか?と思いつついつもの通りへいつもどおり曲がってゆく、その想いはとても大切なものだ。ある日用もないのにその先を知りたくて逆に曲がってしまったら、案外「こんなものか」とがっかりするものだ。
その店の店主は味一筋なのか、あまり内装とか細かい店の置物とかには気をかけない方のようで、メニューの紙は相変わらず汚いままだった。小生が幼少時に既に汚かったのだから、いっそう汚くなっているわけだ。その店の過ごした歳月、出したお好み焼きの湯気、お客さんの笑顔、ビールの泡……全てが染み付いているのだ。どうせなら木版のお品書きみたいに、歴史を語るのにふさわしい道具を使えば良かったのに、ペラペラの紙だ。でも、それがこの店らしい。
夜の7時だったが、客は他に誰もいなかった。不況という風は相手を選ばず誰にでも無遠慮に吹くものらしい。まぁでもこの小汚さも客足を遠のかせる一因となっていることは否めないが…もう少し気を遣ってほしいものだ。
窓には相変わらず、ドナルドダックの白いぬいぐるみが置かれていた。十数年ぶりの再開だ。しかし…彼はホコリにまみれてとても「白」とは言えない状態で置かれていた。こんなに汚かったか。いや、真っ白だった筈だ。十数年間一度も洗ってないのか…。
時間は何故絶えず動くのだろう。今この素晴らしい瞬間は、何故二度と訪れることなく去っていってしまうのだろう。時間が止まってくれれば…
そんなことを思いつつ、明石焼きを頬張り、そして店を出た。走り続けていくしかない。止まれない。風が語っていた。


幡ヶ谷 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

それは明治時代にさかのぼる。(ざっと簡単に述べるので詳細を知りたい方は是非図書館へ!)
人口が増え人の行き来が活発となり、同時に西洋からの文明により開花(=開化)を遂げた明治の東京。様々な都市計画が進められる中で、その一つとして、東京都心から甲州へ向けた鉄道を敷設しましょうという案が浮上し、実現に向けて動き出したのである。
最初の計画では、まさに東京・新宿から甲府方面へと一直線に貫かれている甲州街道という立派な道が既にあるので、それに沿って、東京・武蔵の国と山梨・甲州の国とを結ぶ軌道を作ろうとのことだった。
しかし…――理由の如何に拠らず、後世のことまでを視野に入れず目先の手前の利益に固執した方々については「陰湿」と表現せざるを得ないと感じている――、当時甲州街道沿線に店を構えていた地元商店街の「陰湿な」方々が、その計画に猛烈に反対したのである。
理由は、「鉄道の敷設により人の行き来は増えるかもしれないが、沿線に住む人々は皆新宿や都心に買い物に出てしまい、都心に客を奪われる」とのことだった。地元客を手放したくない。だから便利な交通網なんかクソ食らえ、ということだ。鉄道敷設により外部から他地域の客が来るであろう希望も持っていなかったようだ。
まぁ商店を経営する店主にとっては客足が遠のくことは明日メシが食えなくなることだから、反対したのもある程度は理解できる。しかし、その「客足が遠のく」との読みは果たして正しかったのだろうか。それから100年経った今、甲州街道沿線の各商店街はどうなっているか?高円寺純情商店街や中野サンプラザに匹敵するレベルに達しているか??

結局その明治時代における「甲州へ鉄道を」計画は軌道を一部修正し、明治22年4月11日、甲武鉄道として開業する。はじめは東京-立川間であった軌道も徐々に山梨方面へ延伸し、そして……ここまで書けば、もうおわかりであろう。この計画とは、他ならぬ現在のJR中央線のことだったのだ。

もしこの計画を甲州街道沿線の人々が呑んでいたら…と考えてみる。今の京王線が走る路線がJR中央線となっていたかもしれないのである。我が町・桜上水は荻窪あたりに匹敵する街になっていたのかもしれない…
そうそう、甲州街道沿いには現在京王電鉄京王線が走っている。京王の開業は中央線から遅れること約20年、大正2年の4月15日だ。あれ?おかしい。甲州街道沿いなのに…鉄道敷設に反対していたはずなのに…
そこには、自分たちが反対した中央線が無事開業し、想定外なまでの中央線沿線の振興ぶりに慌て、方針転換を図ったであろう当時の住民の苦い顔が想起される。
陰湿というよりは、「負い目」がにじみ出る、京王線沿線の商店街。下高井戸や烏山など栄えているところもあるが、大部分はこのような歴史を歩んできたが故に、「日陰」のイメージを醸し出しているのだろう…


初台 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

初台について長々と書いてみたが、何も生まれなかった…とても読むに耐えない文となってしまった。
一言で言うと、初台は「甲州街道と山手通りの交差する街」ということになるだろう。そこから話を広げるのは困難を極めた。
確か、野鳥の会の本部があったような気がしたが、あれは笹塚だったか。あまりに閑散としているので驚いた。
甲州街道沿線は、高架で4号線が走ってるから、日照もなく、空気も最悪で、いつの間にやら陰湿な沿線になってしまった。きっと甲州街道が引かれた当初は往来の活発な沿線だったのだろう。
あまりに陰湿で、うまいラーメン屋の味も自ずと本来の持つ魅力を引き出せていない気がする…
まぁ、ここまで陰湿な沿線になったのも、すべてはあの事件がきっかけだろう…。あの当時の陰湿な方々が招いた結果だろう…
続きはまた明日。


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新宿 【シリーズ・東京紀行】 [紀行]

ネタに行き詰ったので(というより、書こうとパソコンに向かって思いつく内容が重すぎる長すぎる内容ばかりなので)、紀行モノをしばらく続けてみようと思う。
とりあえず行ったことのある土地についての出来事・印象的な事を連ねようと思うが、読むに堪える内容になるかどうか…
というわけで、記念すべき第1日目は、新宿。エリアが広すぎるのとテーマを一つに絞るのが困難であることから、今ふと思いつくものを挙げて述べたい。
新宿といえば、かつて(大昔だが)ステイションという漫画が話題となった…んだかなってないんだか。一応ビッグコミック内で連載され、その後単行本化されて全6刊。日本テレビ系列でドラマにもなっている。
小生が小学生の頃だったと思うので、もはや10年近く経ってしまったのだが、思えばあれは大変好きなドラマであった。
簡単に紹介すると、鴨志田(コミックの方では中村)という駅員がJL(ジャパンライン?)新宿駅(新新宿駅だっけか)で繰り広げる日常を描いた人情系の話だ。余計なお世話をして乗客に親切をし、「職場放棄!」と上司に怒鳴られながらも、キオスクの店員、同僚、常連の乗客、地元の飲み屋の主人…その人柄から皆に愛される若き駅員である。ドラマでは吉田栄作が主役を務め、同僚に田辺誠一、松村邦洋(意外にちゃんと演技していた)というキャストで、主題歌はJ-WALK(現JAY-WALK…てか「現」と言ってもここ最近活動しているかは不明)。名曲だったので当時図書館やTSUTAYAに通い徹底して探したのだが、見つからず。
ドラマは実際にJR新宿駅でロケーションを行い、製作されていた。これを見て当時は駅員という仕事に憧れたりもした。
ステイションは人情をテーマにしたストーリー構成で極めて刺激の弱い話ではあるが、「女性専用車両」だの「迷惑行為」だの、殺伐とした昨今には是非とももう一度復活してほしい作品である。

ステイション [少年向け:コミックセット]

ステイション [少年向け:コミックセット]

  • 作者: 大石賢一/はしもとみつお
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • メディア: コミック


小金井公園 Ⅲ [紀行]


桜じゅうたん。

思えば、野川のライトアップに和田掘浄水場の限定公開に、小金井公園。
今年見たいと思ってた桜は大体見れたように思う。


小金井公園に… [紀行]

行ってきました。広大な敷地に広がる桜が有名との事で、行ってきました。新年度がスタートしてるのに何故か日中時間が空き、この機会を逃したら今年は無理かぁ~と思い、行ってきました。我が町、調布からバスで武蔵境へ行き、さらにバスに乗って公園の東から足を踏み入れ、ゆっくりと広い園内を歩き回り、徐々に西進し、江戸東京建物博物館へ。

桜に限らず、さまざまな種類の木々の織り成す清閑な世界と風の音が…兎に角素晴らしいの一言に尽きると思います。
建物博物館は…図らずも「これ明治の金持ちの家だよなぁ」と思うと何となく長居をする雰囲気でもなく、自ずと足早になってしまい…。

今年度の目標の一つとしては、やはり多摩の隅々、とりわけ疎い多摩北部(西武沿線とか中央線の北側)とか、多摩西部(奥多摩とか五日市)などの土地を色々と散策してみたいと思う。時間の許す限り。


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