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■『鼓笛隊の襲来』/三崎亜記 [書評]

本屋では専らモグラになっている。トンネルの先の小さな光を追い求めて、ついつい視野狭窄になってしまうのだ。
流行りの新書や啓発本には興味がない。よって、平積みには目が行かず、興味のあるジャンルの棚を目で追うか、
名のある作家の棚をあかさたな…と縦に横に追っている。氏の新作との出会いはそうしたモグラ作業の果てである。いつも巡回する「み」の所に一冊黒い本が増えていた。咄嗟に取り出す。ン、ちょっとハードカバーの硬いところが汚れている。まぁいいか。

…レジに並んだ後で、店の一番目立つところに同じ本が数十冊平積みされていることに気付いて、相変わらず自分の視野の狭さに落胆しつつ、汚れていたから取り替えようかとも思ったが、面倒になりやめる。いい大人だし。

(さて今回の『鼓笛隊の襲来』は前作『失われた町』以来1年4ヶ月ぶりとなる待望の新刊で、9つの短編集である。短編集としては『バスジャック』以来2冊目となる。)
↑この二文は要らないかな


かつて、金子みすずは「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」と語った。
それから80年を経て今、三崎亜記は私たちに問う。「見えているのに、見ていないものはありませんか?」


【鼓笛隊の襲来】
ハーメルンの笛吹きを彷彿とさせる冒頭作品は、何かにおびえる現実と、その見えない時代の中で威勢を張りたがるブランド信仰者と、踊らされていく人々…という、まさに現代社会をそのまま切り取ってパラレルワールドに当てはめた一作である。ありえない現実でありながら、何から何まで符合する現実。夢を見ているのは自分の方だったのではないかという気さえ起きる。そんな中で何か確固たる信念を持って、消えゆく小さな炎を守ろうとするおばあさんの温かみはとてつもなく愛おしい。

【彼女の痕跡展】
ふと思うことがある。幼少時の記憶。それは、その時に刻まれた記憶をずっと今日まで保ち続けているのか、それとも「そういやあの時こんなことがあってさ」と何年か後に思い出したものを記憶として登録・整理し、今日まで記号化して時々映写機で再生させているものなのか。何だか、本当にそうだったのか、疑わしくなる。どこかでほんの少しだけ変わってしまったとしても、もう今の自分は当時まで記憶の糸を辿っていって修正することはできない。もう、途切れている。
だから、写真を眺めたり、当時の思い出話をしたり、出てきた「痕跡」を集めて並べて、必死に思い出してみるのだ。やっとの思いで判明した!その次の瞬間、曖昧だった記憶はプツリと消える。今、整理され登録された。もう、ギャラリーには誰もいない。

【覆面社員】
プライバシーや匿名性やが騒がれ、一方で個人の権利とか個性多様性とか「私を認めて」とかが言われる。整形にダイエットと外面だけではない。ネット社会で別人格が生まれ、セカンドライフで「なりたい自己」を追求していく。そんな私たちはどこかで覆面を被っている。「覆面」という作者の着想にはやはり脱帽だ。それは、匿名性の象徴でもあり、特異の象徴でもあり、戦隊ヒーローやプロレスの覆面にも通じる「何か自分が強くなれる気がする」特別なものだ。リセットは、しようと思えばいつでもできる。いずれ、したことを忘れる。でも、また満足いかなくなったら、どうするのか。もう一枚覆面を被るのか。その度に皮膚は締め付けられ、いずれ窒息してしまう。

【】

…続きは後日!!


鼓笛隊の襲来

鼓笛隊の襲来

  • 作者: 三崎亜記
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/03/20
  • メディア: 単行本



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