SSブログ

思いを伝えるには [雑記]

石破茂元防衛庁長官が、こんな発言をしていた。
「確かに拉致問題は大切だが、それだけをピンポイントでやることは本当の解決にはつながらない。各国の思惑をよく読み、まずはどう核開発を止めるかという段階に行かなければならない。そうしないと、6カ国の中で日本だけが取り残されることにもなりかねない。拉致問題の解決のためにも、日本には総合的な視点が必要だ。」
(報道2001出演時の発言。8月20日付け産経新聞を参照)

これは他の事にも通じる大事な考え方なので、右左とか政治的観点を排した上で、紹介したい。


最近のわが国のコミュニケーション文化は、
「思ったことはきちんと口に出して伝えないと、相手に伝わらないよ」と、
ストレートな表現による伝達を好む傾向にある。
石原慎太郎が都知事選でとった戦略にもあったが、
「黙して悟らせるとか、背中を見て洞察しろ、といった文化はもう通用しない。
きちんと説明責任を果たし、はっきりと声に出して伝えていかなければならない」
というのが主流となった。

確かに、公権力を司る機関や、大衆に対して政治・経済・社会の動向を決定付ける
立場にある人間に対しては、常にオープンな姿勢と明確な答弁、説明責任が求められる。
それは頷ける。

しかし、全てをオープンにしてしまって良いか。また、
全てをオープンにすることは可能か。或いは、
全てをオープンにしないことによって得られる利というものはないのか。
…と検証してみる必要があるように思う。

例えば、国家機密を全て情報公開してしまったら、これはただのお人よしである。
まだ公開できないけど、秘密裏に進めることで成功するプロジェクトというのもある。

いやいや、これは政治だけに限らない。もっと「コミュニケーション」ということに絞って
検証してみよう。

例えば、欽ちゃんが24時間テレビでマラソンを走ったが、
(マラソンを走る? …馬から落馬したみたいな重ね言葉だな)
これを最初から最後まで生中継し、さらには事前の練習の模様なんかも公開したら、
どうなるだろうか。

実際、欽ちゃんが70kmを本当に最初から最後まで走る必要はあるか。
もし、そんなムリをして、1週間後に突然倒れたら、どうするのか。
元気な姿を見せて勇気付けるために、「走ったことに」して、途中
カメラの回っていないところで休んだり、多少車で移動したり、
もし舞台裏でそうしていたとして、我々は欽ちゃんを非難するのか。

そんなことはタブロイド紙に任せておけばいい。
大事なのは、頑張っているということであり、
本当だろうが多少ごまかしていようが、「70km走った」ということにして
「番組」を成立させれば(そもそもテレビ番組とは虚構なのだから)、
それによって多くの人が勇気付けられたり、「私も頑張ろう」となれば、
それは成功と言えるのではないか。
そこで、裸の王樣における正直少年のごとく、「欽ちゃん本当は70km走ってないよ」
なんて言ったって、場がしらけるだけである。

人を傷つける本当も、ある。
人を救うウソも、ある。

「何でも正直がいいか」ということは常に問い直されなければならない。
(医療現場におけるホワイトライとかね。)

そしてもう一つ、舞台裏の苦労というのは見せる必要があるかということについて。
まぁそれを見ることで世間が感動するのならそれでいいとは思うが、
人の見ていないところで努力するというのは人間大切だと思うし、
それは大事に胸に秘めておきたいことだ。
間違っても「私はこんなに頑張ったんだよ」とアピールするような
内情暴露だけは勘弁してほしいものである。感動が半減する。

さて本題に入るが、冒頭に紹介した石破氏の発言。
意訳すると、「拉致問題を解決したいのは誰もが皆思ってる。
でも、それをそのまま愚直に言い続けることで、かえって
6者協議の場から取り残されるなど、マイナスが生じることもある。
状況を見極めながら、戦略的に外交を進めなければならない。
そこで成功することで、結果的に拉致問題の解決も導き出すことが
できるのではないか」
…ということだろう。

思いを伝えるために、その思いをそのまま口に出すことをする。
でも、そのまま口に出すことで、かえって逆の結果を招いたり、
うまく伝わらなかったりすることもある。
そういう状況の洞察、相手の洞察をせずに、ただただ
「私は伝えた。なんで分かってくれない」というのはダメなのだ。

相手に好かれたくて、「あなたが好きです」と言ったとする。
でも、受け入れられるとは限らない。
好かれるために、好かれる状況を作り出すのだ。
自分を磨いたり、親切にしたり、相手の心をつかむ言葉や行動を与えたり。
そうして全てお膳立てをした上で、「好きです」と言うのだ。

1回言ってだめだったから、もう1回「好きです」と言う。
「わかった」と言ってもらえるまで、何度も繰り返す。
これでは、大概の場合相手からしつこいと思われ、嫌われてしまう。
(もちろん、例外もあるにはあるのだが。)

目的を果たすために、迂回したり、果たせる状況を先に作る。
全てにおける基本だ。
それができずに、何でも思ったことをすぐ口にしたり、相手に
自分の心の内を正直にそのまま伝える人間が最近はあまりにも多い。
ストーカーも炎上もコミュニケーション不全も根本は皆そこに問題がある。

では、どうやってその「果たせる状況」を作るのか。
さぁ、よーく考えましょう。


nice!(9)  コメント(5) 
共通テーマ:blog

nice! 9

コメント 5

俺

書いた後で気づいたのですが、これ、前の記事に対する一つの回答にもなってますね。
こんなんで、どうでしょうか。ご意見拝受いたしたく思います。
by (2007-08-21 05:37) 

なつみ

この記事の内容と同じことを私も考えていました!
コミュニケーションは直球ではなく、変化球が必要なのではないかなと。

>思いを伝えるために、その思いをそのまま口に出すことをする。
でも、そのまま口に出すことで、かえって逆の結果を招いたり、
うまく伝わらなかったりすることもある。
→これで毎日苦労してます。(クラスの子ども対応です)
by なつみ (2007-08-21 23:13) 

(。・_・。)2k

はじめまして
ご訪問ありがとうございました。
今後とも宜しくです(^^)
by (。・_・。)2k (2007-08-23 18:33) 

俺さん、こんばんは。お久し振りでございます。

これは伝えたい!と思うことはちゃんと口に出さないと分かってもらえないのですが
これがなかなか難しい。。。
人によって言葉の捉え方が違うから、かえってややこしくなる時もある。
伝えたい人によって言葉のニュアンスを変えたりする必要はあると思います。
伝えたい人の気持ちになって言葉を発した方が混乱はしないかな?

何も考えずに思ったことを口に出すのは『口は災いの元』になるので。。。
考えながら思った事を頭で整理してから口に出した方が懸命ですね。

最近政治家は最近思ったことを何も考えずに言ってるのでいろいろ問題が出てきてますよね~
by (2007-08-27 00:00) 

俺

皆様、ありがとうございます。

「思いを伝える」ということ、
「伝えたいこと」を「伝わるように」「伝える」
ということは本当に難しいことだと思います。

確かに、「口は災いの元」なんて言葉もあるように、
言葉の怖さは常に意識しつつ、選んでいかなければ
ならないのでしょう。

敢えて口にしないこと、
言葉と言葉の間、文でいう「行間」を読ませることも、
時に必要なんですよね。
by (2007-09-03 03:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。