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公教育の持つ意味、一つの結論 [主張-時事]

昨今の教育をめぐる問題については様々な議論に耳を傾け、
当ブログでも幾つかの記事を書き、多くの方からのコメントを通して
多くの方のご見識を賜ることができた。

公教育の持つ意味はもっともっと多くの側面から議論されなければならないし、
最近のニュースを見ていてもいたずらに改革の流れが加速しているのには
危機感を感じる。
足立区も馬鹿なことを言い出していてどうなることかと思っていたが、
その後撤回したそうだ。最近は第一報を流しっぱなしで後追いしないニュースが横行して
いるので、これも懸念しているのだが、自分で検索してはじめて新聞社のサイトに小さな
記事を見つけることができた。

23区内で一番学力が低いから、対策を講じた。
この発想自体が根本的に間違いなのであって、
そこから考え直さなければならない。
地域の特性ということを考えずに一つの基準だけで改革をしようとしたって、
無理が生じるに決まっているし、そのしわ寄せは全て現場に行くだけだ。

23区内で一番学力が低いからと言って、必死で勉強させてどうするのか。
ある程度は数字は上がるかもしれないが、根本的に親の所得の次元、
ブランド私学校の所在数が他の区と違うのに、同じ土俵に立てるわけがない。

さて、それはいいとして、公教育の意義だが、前回の記事のコメントを受けて、
一つの結論を見出すに至った。あくまで多くの意義のうちの一つということになるわけだが…

(以下、コメントへのお返事とほぼ同じ)

実は、小生は小・中・高・大とずっと公立の学校に通ってきて、特に小・中は地元の学校に
通ってきた。だから「偶然その地域に生まれ育った同世代の人間」というコミュニティの中で
義務教育を受けてきた。ある程度地域による特徴=端的に言うと親の所得=はある
ものの、実に多種多様な子ども達が集まって、雑多なメンバーが一つの教室で同じ授業を
受けるということ、これは本当に重要なことだと思う。
まさに、松matsuさんの語る「多様であること=違いを認め合うことを知る、学ぶ場」ということだ。

実際自分の体験としても、貴重だったと思う。「勉強のできない子に合わせると、
できる子は進めない」と言われ、今では公立校でも習熟度別の授業を行っているそう
だが、それは違うと思うのだ。

議論の為敢えて謙遜は省いて話すが、中学時代、小生は成績で言うと5段階で平均
4.8くらいであった。だから正直に言うと授業が退屈だったり早く次に行ってくれと
思うことがあった。
隣の席の勉強嫌いなやつが年中話しかけてきて授業を聞けないこともあった。

でも、それが大事だと思うのだ。
うるさい子に「邪魔するな」と注意すること。
分からない子に「ここはこうだよ」と教えること。
自分と人との違い、差を知ること。
自分が何でもできると傲慢にならず、自分にもできないことを知ること。
1から5まで様々な成績の生徒がごった煮状態で集まった一つの空間=教室を
演出していくこと。まさに、社会を知ることだと思う。

その上で、受験勉強に臨んでいくこと。これが「ゆとり教育」のあるべき姿なのではないか
と考える。いまさらゆとり教育再燃の議論はされないだろうし、現状ではゆとり教育は
完全に失敗したざまを見せつけているが、この反動でまた受験戦争の時代に戻って
しまうのではないかということが危惧される。同時に、落ちこぼれが落ちこぼれの
吹き溜まりとして社会から取り残されていくことも懸念される。

「地域の中の学校」と言うと言い方は古いかもしれないが、
地域の紐帯が崩壊した今、治安の側面から見ても、
大切なことであるように思う。

まだまだこの問題は考え続けていきたい。


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とと

公教育についての俺さんのエントリー、ずっと読ませていただいていました。
でもなかなかコメントするのが難しくて、先延ばしになっていました。
今も、何か確かな考えがあってコメント入れてるわけじゃないんだけど、公教育って本人のためでもあり、社会のためでもあると思っています。社会のためには、良質な労働力を生産するという意味があり、その意味では大学が就職予備校であることは特に間違っていないと思います。また本人にとっても職を得て自立することは何より大切なのだし、そのためのひとつの方法として大学進学があるのだと思います。本物の力がある人は学歴なんて必要ないでしょうけど、ほとんどの人は普通の人で、普通の人にとって学歴は、ないよりあったほうがいいですから。

ゆとり教育については、当時からゆとりのないのは子供じゃなくて大人の方だと思っていたので、そのうち絶対に見直されるだろうと思ってました。
最近、公的機関の人と仕事をすることが多いですが彼らの机上の空論には毎度毎度、驚かされます。きっとこのゆとり教育もそのような形で決まったのでしょうね。制度を考える人は、まず体を動かし実体験を持つこと、これがないといつまでも庶民は公務員たちの考える机上の空論に振り回されるんじゃないかと危惧しています。

足立区の話、私は成績の悪い学校に多くの予算がつくのだと思ってました。その予算で複数指導にするとか、少人数制にするとかそういう意味なんだと思っていたら、逆だったんですね~。シンジラレナ~イ!
by とと (2006-11-08 08:57) 

うんうん!と頷いてばかりです。思うところはたくさんあるのだけれど、上手く書けません。真の美しさを手に入れようとするのならプチ整形ばかりしても何の意味もない・・・という感じでしょうか。はぁ~なんとも恥ずかしいコメントです。(^_^;)
by (2006-11-09 21:48) 

俺

コメントありがとうございます。

>とと さん
足立区の話は結局ボツになったのでいまさら議論しても仕方がないかもしれませんが、一応の狙いとしては、「競わせること」「頑張ってる所を評価すること」で、それに加えて成績の悪い学校にはまた別に対策費として予算を振り分けるということなので、そこまでがきちんと報道されていれば単調な批判は出なかったと思います。でも、やっぱり学校が企業のように「評価のための…」となることは危険だと思います。

>eshallet さん
そうですね。そのセンテンス、まさに的を得ている表現ですね。表面だけ取り繕っても仕方ないですよね。真の美しさ、手に入れられる日は来るかどうか…
by (2006-11-15 00:02) 

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