結果が全て… [主張-ひと]
よく、「何だかんだ言っても、やることはやってる」とか、「どれだけ大口を
叩こうと、無礼であろうと、勝ちゃぁそれでいいんだろ」といったことが言われる。
これは、そろそろ見直されていい時期に来ているように思う。
例えばプロ野球の世界では「結果が全て」ということが言われる。
どれだけ投手ががんばって失点1に抑えようとも、味方が一点も
取れなければ、その投手は敗戦投手となる。
自分の成績に黒星が一つ付くのだ。
また、街頭や電車の電光板では共同通信の文字ニュースがただ単に
何対何でどっちが勝ったかという結果だけを流していて、それを見て
「おっしゃ、巨人勝った~」なんて言ったりする。
これは、「結果が全て」ということを、「結果だけが全て」ということなんだと
誤認しているのではないかと思う。
結果が全てというのは「負けたくせに『あの時僕はここで頑張ったんだ』なんて
言い訳するな!」という場合に用いられるのであって、「どんな手を使おうと、
勝てばいいんだ」ということを意味するわけではない。
もちろん勝つことが第一であり、勝たなければならないのだが、
本当は、結果に至るプロセスが一番大事なのであって、しっかりと手順を踏んで
勝ちに行かなければそれは本当の意味での勝ち=「価値ある勝ち」には
ならないのだ。
オシムジャパンが敗戦した。オシム哲学では「敗戦から人は学ぶ」と言う。
確かにその通りだ。しかし、プロセスを無視して勝ち負けの部分だけでしか
捉えることができないと、どれだけ負けを続けても選手は成長できないし、
むしろ卑屈で体たらくな慣れが生じてしまうだけだ。
楽天の野村監督が真っ先に変革を試みたのが選手の「負け癖」であった。
負けても「どうせいつものことだから」「どうせ俺らは勝てない」としか
省みることのできない選手たちの意識を徹底して変えようとした。
オシムジャパンにはこうした意識の変革が求められるように思う。
この国の人々は、多分どこか本能的にそれを分かっているはずなのだ。
だから、「稼ぐが勝ち」ホリエモンや村上世彰に違和感を抱き、
亀田興毅をバッシングする。
でも、そう言ってる自分達自身が勝つための努力をしているだろうか。
安全地帯に引きこもって、そこからの攻撃なのだ。だから、
所詮はバッシングとか「炎上」といった手段でしか表現ができないのだ。
非常にお粗末である。
相手への注意や叱咤やクレームは、相手のためにならなければ何の意味もない。
ただ単に自分自身のストレス発散でしかないのは、それはただの自己満足だ。
そこを分かっている人間が「バッシング」の先頭に立った時、
本当にこの国は変わっていくだろう。
結果がすべてでないということはよーく分かっているのですが、
どうしても見えるところで判断してしまう自分がいるのも事実です。
プロセスをしっかり見ていきたいと思いました。
by なつみ (2006-10-09 11:22)
こんばんは。
確かに表面に見える部分で判断評価してしまいがちですよね。もちろん要領や運で勝つことも大事なのですが、やはり努力して自分のためになるような勝ち方が一番かなぁと…。
by 俺 (2006-10-12 22:55)
相変わらず、鋭いご指摘です。
「そこを分かっている人間が「バッシング」の先頭に立った時、本当にこの国は変わっていくだろう」
確かに、そうなのかも知れません。
by えいこう (2006-10-13 23:11)
ありがとうございます。
この問題は結構根深いものがあり、他のニュースにも関連する重要なものだと思うのです…。たとえば、最近続発する自殺についても一つ気づいたことがあり…詳細は近日中に記事にいたしますので。
by 俺 (2006-10-17 01:03)
見た目と本質的なものはどうしても食い違っていきますね。
まして、此の移ろいやすいものばかりが目立つとき、
目に見えないものを、正確に見極めることは、時間はかかるし、
体力を消耗しがちです。余程意志強く持たないと、いつの間にか
萎えてしまいがちになりますね。
by m_kikuchi (2008-02-02 16:15)
こんばんは。コメントありがとうございます。
この原稿、改めて自分で読んでみてびっくりしました。2008年の今書いたような、今の時代にも通じる内容になってますね…
目に見えないもの、表に出てこない部分の評価をどうするか。そう簡単に答えの出るものではないですが、理解しようと努力し続けなければならないと思いますし、そういう姿勢を見せるだけで、相手は自分への理解努力を受け入れて評価される自己を表現できるようになると思います。
by 俺 (2008-02-04 00:23)