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個性 [主張-ひと]

ひとくちに個性と言っても、ただただ「個性を尊重しましょう」と言っていりゃいいわけでもなく、
それこそ個性なき安直な繰り返し言語に過ぎないのである。
一つ、こんな事例を出してみたい。
敢えて「こうだ」と断定的な物言いはしないので、各自心の中で考えをめぐらしていただけたらと思う。考えたことをコメント欄に記していただいて構わないので、どうぞ我が主張ではなく「考えるきっかけ」「素材」として、以下をお読みいただきたい。


小生の知り合いに、50代の人がいる。

この人は、それこそ高校時代に学生運動という世の中の風潮に刺激を受け、
70年安保に際して座り込みを行ったり、自由を主張し校則の撤廃や種種の規則からの
開放・解放を求めて、時に教師とバトルしたそうだ。

その運動の一つに、「学生服の撤廃」というのをやったそうだ。

彼は、当時その高校の生徒会長。学生の代表として、
教職員へ「男子の学ランを廃止せよ」と訴えたそうだ。
学生服は服従の象徴。軍服のごとく皆が同じ服を着せられ、同じ髪型にされ、
学校という名の管理社会へ埋没していく…その中で、本当の自分自身を取り返すのだ、と。

学生服は、皆同じ。これでは個性が埋没する。個性を取り戻すべく、学生服を撤廃し、
自由な服装を許可しろ!!こう訴えた。

すると、教師の一人が彼に対してこんなことを言った。
「学生服を着たくらいで埋没する個性か。
 お前らの個性は所詮その程度の個性なのか?」
と。

これを聞いた彼は、反抗するも、内心は本質を突かれたショックに動揺していたという。
確かに、その通りだ。学生服を着たくらいで消えてしまう個性なんて、持ったって仕方ない…
個性っていうのは、そんなもんじゃない……

あれから30年。彼は今50歳の壁を越え、この国のある分野でスペシャリストとなり、
名実ともに第一人者として国を動かしている。

そう、我が師匠である。

そんな我が師匠、先日こんなことを言った。

「カメレオンの本当の色って、何色だと思う??」


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コメント 7

カメレオンはグレーかなぁ。
by (2005-08-23 21:10) 

えいこう

こんばんは。
記事を書き上げるのが、相変わらず速いようです。
これに関して、私なりにじっくり考えてみました。
まず記事で取り上げている方の主張。学生服が個性の埋没と訴えた点で、教師の手痛い反撃を食らってしまったのだと思います。私の記事で述べているように、皆と同じである事が、即没個性になるとは思えませんので。
以前少し触れましたが、私は中学時代に、頭髪問題で教師と衝突しました。私は自分の好みとして、髪を伸ばしたかったのです。大方の生徒が短髪に抵抗がない中、私は己の嗜好として伸ばしたかった。皆が同じ考えを持っていたとしても、そうしたでしょう。そこには、勉強や運動をする上で、髪の毛が長い事が何ら支障になるものではないという考え、主張があったからです。実際女子は、制約はあったものの、明らかに長かったわけですから。
学制服についても、同様の主張をする事は出来ました。勉強をする上で、学生服でない事が、何ら支障になるものではない。頭髪問題と、同じ理屈です。しかし、私服だと却って面倒臭いので、敢えてしませんでしたが。
つまり、頭髪問題にしても学生服にしても、個性が埋没するからという意識は、全くなかったわけです。そういう意識であれば、当然学生服の廃止も訴えたはずです。
自分の趣味嗜好を貫きたい。一見自分本意の、狭小な考えかも知れません。しかし校則はそれを禁止する上で、納得出来る回答を持ち合わせていない。それを訴えたわけです。
つまり個性が埋没する、或いは自由という、大義名分めいた事ではなく、個々の趣味嗜好、或いは考えや意見、それを妨げる理由が理不尽である。私の場合、そういう点を主張したわけですね。
もちろんその方の、服従からの解放、自由を勝ち取りたいという主張、立派な意見です。しかし皆と同じ服装をする事が、個性の埋没に繋がる。それは私の考える重要な個性という観点から見て、やはり教師に突っ込みどころを与えても仕方がないと思った次第です。長くなり、失礼致しました。こちらからも、トラックバックさせて頂きます。
by えいこう (2005-08-23 22:33) 

俺

こんばんは。早速お二方にコメントいただき、ありがとうございます。引き続き、ご意見・ご感想お待ちしております。
学生服に関しては、小生は不勉強なので学生運動に関する知識が疎いのですが、その当時の風潮として支配や体制への抵抗というものがあって、その一つということだと認識しています。多分個性の主張云々は理由付けで、それよりも「統一された制服=上からの支配の象徴」という思いが強かったのでしょう。
今の時代の若者にはこういう思考法は内在しないと思います。おそらく東大のう安田講堂の黒ススを見ても単なる過去の遺跡としてしか見ていないでしょうし。
今は、個性を主張するのはするんだけど、やりすぎると浮いてしまうから、ほどほどに…というのが、ファッション的な行動としても、同時に思考法や日常生活の行動においても、主流な思想となっていると思います。だからこそ、学校に私服で登校はしないけど、学生服のボタンを一つ開けてみたり、中に色モノのシャツを着てみたり…「所詮は枠組みの中での主張」「制限の範囲内での自由行動」が嗜好される時代なんでしょうね。
by (2005-08-24 00:54) 

Runa

個性とは 服とかで 左右されるものでもないと 思うのですが・・・
すべての人には にじみ出る個性があると思っています。
私の個性はと 断言することは 出来ないけど
内面から現れることこそ その人の個性だと思いました。
by Runa (2005-08-24 17:50) 

私の職場は、「団塊の時代」といわれる方々が多く、早稲田卒のオバサマは「大学に立てこもってねー、女子はたきだしとかしたのよー。」と、当時のことを生き生きと語って下さる方もいます。(かなりビックリしましたが・・。)
「個性」ということから、少し離れてしまうかもしれませんが、私の職場には制服がありません。私がやってるソーシャルワーカーという職種を始めとして、医師・看護士・薬剤師などの医療職も白衣を着ていません。(エプロンをつけていたり、という程度)
一応、公務員なので、開設した頃、(30数年前は、)ネクタイをしていないことを随分言われたようですが、「クールビズ」のお陰で、時代がようやく追いついた感じですかね(笑)。

制服がないのは、うちの職場が開設したときに「精神障害者と同じ目線で見れるように」という理念があり、また、白衣という「権威の象徴」を無くすことで、「患者」が「医師や看護士の前では、いい患者のフリをする」ということを無くすことも考えたそうです。
でも、逆にいえば、「白衣」を着ていると、「先生」と言われる世界でもあり、事実、病院へ実習に行った時、白衣を羽織るだけで、周囲の見方ががらりと変わる体験もしました。

いい意味でも悪い意味でも、「制服」は他者から見てわかりやすいものなんでしょう。

ただ、個性という点でいえば、制服を着ていても、スーツを着ていても、個性的な人はオーラが全く違う、ということを、今の職場では感じます。対人援助の仕事、ということもあり、無理にカッコつけても、薄っぺらい人はすぐボロがでますから、シビアなこともありますね。

自分が好きなことや信念を持って、打ち込んでいることがあれば、自然とそれが「個性」という形になって現れるのではないかと感じました。
そういう意味では、俺さんは一本スジが通ってる感じがします。

まとまりがなくなってスイマセンm(_ _)m
by (2005-09-01 00:13) 

SomethingPrecious

私は団塊世代真っ只中のオバサンで、もと教師でした。
5月にホームページ、今月の初めにブログなるものをはじめたばかりですが、ブログの記事は殆どが「つぶやき」「つれづれ」的な軽いノリのものという印象で、この「明日を拓く」のようにじっくり考えるタイプのものには出会えないのかと少し失望していましたが、今日10,000アクセス超のタイトルからここに訪問させていただき、とても頼もしく嬉しく思いました。
件の「個性」については、皆さん核心を外さずに掴んでいられると思いますので申し上げることはありませんが、ただ一つ、私の出身校の学長の言葉を。彼女は外国人の修道女でしたが、当時ミッションスクールにはつきものの「制服」が大嫌いで、制服をつくることは学生と保護者の要求だったとの先輩の話でした。理由は「18歳にもなって、毎朝その日にどんな行動をとり、何を着ていくべきか、自分の頭で判断できなくてどうするのですか?」ということだったそうです。
私は彼女(故人)を今でも尊敬しています。
by SomethingPrecious (2005-09-14 22:25) 

俺

確かに、全ての人にはにじみ出る個性があるというのはおっしゃるとおりだと思います。無理に作り出すものでもなく、誰かのまねをするのでも、あるいは無理やり人と違って見せようとするのでもなく、自分に素直に生きていれば自ずと出てくるものだと思います。それをいかに社会に適応させ、人間関係を広げていくか、ということでしょうね。

「白衣の話」も、また興味深いものがあります。確かにコスチュームというものには単なる機能性だけでなく、相手に与える視覚的影響もあるでしょうね。立場や意志を表す機能がある以上、そこには細心の注意を払わなければならないんでしょうし、常に365日勝負服なんでしょうね。
それ以上に、服装がパターン化され、そこから一面的な印象だけを抜き取る傾向がありますから、それ以上に、着ている人個人を理解しようと努めなければならないと思います。

また、「毎朝その日にどんな行動をとり、何を着ていくべきか、自分の頭で判断する」というのは大切なことですね。それをきちんと教えていくことは、制服を着せてマナーや礼儀作法を身につけさせることよりよっぽど重要だと思います。素晴らしい先生ですね。
by (2005-09-15 01:57) 

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