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この国のどこかで、輝く可能性を持つ全ての人へ 【上】 [主張-ひと]

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050705/mng_____tokuho__000.shtml
先日の東京新聞(中日新聞系全国各紙)の特報欄に、
ある女性の生き様が描かれていた。

それはあまりにも心を動かすものがあった。

  (以下小生の駄文と併せて、是非とも上記記事をお読みいただけたらと思います。
   きっと心に響くものを感じとることができるはずです。)

この女性は55歳主婦。昨年群馬大の医学部を受験したのだが、残念ながら不合格。
しかし、「3年も挑戦してだめだったのだから、学力が及んでいないのだ。あきらめよう」と
自分を納得させるため、自分の成績を開示した。ところがなんと、開示してみてびっくり。
この人の得点は平均点より10点も高かったのだ。
その後、この結果に疑問を抱いたこの女性は大学側に問い合わせる。対応は決して
良くなかったようだが、厳しく問い詰めたところ、「その担当者の私見」と断りがあった上で、
年齢がネックになっていることを告げられたのだ。
つまり、大学側にとって55歳という年齢の人は必要ないということだ。
大学側の言い分としては、「国立の大学は、長い年月をかけて世の中に医者を送り出し
社会に貢献させるという使命を持っている。55歳で入学という年齢を考慮すると、卒業後
医者になってから社会に貢献できる年数は少ない。それよりは時間も希望もある若い
学生に席を譲ってほしい」ということのようだ。

これを聞いてどのように感じられただろうか。なるほど、確かに社会にとってはどうせ
同じ労力を費やすなら、働ける年数が少しでも長い医者の輩出の方が社会の利益に
適っている…と考えるだろうか。

小生はこれには違和感を覚える。

実にお役所的発想である。そういう理屈はあくまで机上の論理であって、実際問題
そんな単純な計算で済む世の中ならこれほどまでに「不祥事」だの「医療ミス」だの
「裏金」だので騒ぐこともなく、日々立派なお医者様方が育っているはずだ。
そうではないのが世の中の現状だ。

それに、何よりも強調して言いたいのは、どれだけスタートが遅かったとしても、
周囲より歩みののろいカメだったとしても、目指し続け頑張り続けている限り、
その人の挑戦を妨げてはならないと思う。

確かに、この55歳女性が医者として社会に貢献できる年数は限られている。しかし、
我々は人間だ。ロボットじゃない。50代の人間はもはや使いようがないなんて
決め付けてはならない。

冷静に、「何故55歳にもなって主婦業の合間に勉強して医学部を受験したのか」と
考えてみてほしい。
記事が伝えているところによると、この女性は生きてく過程での様々なエピソードから、
強固な意志をもって勉強を始めた。朝起きてから寝るまで、きちんと家事をこなしながら
短い時間に集中して、自分の体力とも戦いながら受験勉強を続けてきた。
何故、大学側はここまで頑張る一人の人間の希望を摘み取ってしまうのだろうか。
「若い方が…」と言うが、単に学力が優秀だから医者になった、親が医者だったから
医者になった、モテるし高収入だから医者になった……そんな若者が少なからずいる。
そんな連中よりもよっぽど、この女性のような強い意志と信念を持たれている方が医者に
なった方が、世の中明るくなる筈だ。
また、小生はそこまで気づかなかったが、記事が伝えるところによると、こうした高年齢で
挑戦を続ける学生が一人現場に入ることで、周りの若い学生にその思いが伝わり、
良い刺激になるはずだ、とのことだ。確かに、小生も夜学生として都立大に通っているが、
入学当初は人生の先輩たる30代、40代、50代、それ以上の方々の豊富でユニークな
人生経験に多々刺激を受けていたことを想起する。

この世の中はあまりにも成績とか学歴とか、一面的なレッテルで色んなことが制限され
すぎているように思う。認めることはいいが、「認めない」「制限する」方向に進んでしまう
ことは、とても残念でならない。
実はやらせてみたらすごい力を発揮するかもしれないのに、はじめから「○○歳以上は
雇いません」とか「大卒以上に限ります」とか、やらなければわからないのに、やる前から
チャンスを奪ってしまうのはおかしいのではないか。

とりわけ、「女だから」「主婦だから」といって社会から隔離されたところで日々過ごしている
「専業主婦」と呼ばれる人たちの中にはすごく大きなパワーが眠っているように思う。
毎日毎日旦那の弁当を作って掃除洗濯して買い物して子どもの面倒を見て…だけで
一日の殆んどを過ごしてしまっているが、そういう人たちだって結婚するまでは会社に
勤めていたり、学校で何かを学んで何かに感化され趣味を人より長けた能力につなげていき…
と、様々なことをしているはずだ。この専業主婦と呼ばれる方々の底力は、疲れきった
男たちよりもはるか強大なパワーを持っているんじゃないかと思う。
それを、どういう形であれ、本人たちが生き甲斐を持って取り組め、なおかつ社会貢献にも
つながる動きに持っていけないものだろうか。これは高年齢の方にも言えることだと思う。
福祉福祉…と言うが、弱い人にお金をかけて生活させてあげることより、眠っている能力を
引っ張り出してあげることの方が、よっぽど国の政策としては素晴らしい結果をもたらす
ように思えてならない。

身内の話で恐縮だが、我が母は先月、新しい仕事を見つけた。
元々、大学の英文科出身で、英語教育には長けている。さらに、大学卒業後はデザイン
関係の職場に勤めた経験がある。
結婚・出産、育児や世間体などから社会復帰は辞めて10年以上たってからだが、
それでも主婦として過ごしていた間も、近所の大学に社会人聴講生として通ったり、
我が子に勉強を教えつつ自分も感覚を取り戻したり、と奮闘していたようだ。

そして、母はパートをはじめる。近所の会社の事務だが、指一本で数字を入力する程度の
くだらない仕事だ。それでも、一応は社会復帰をした。
暴露的で恐縮だが、これは本来自分で今以上に勉強をするための資金集めだったらしい。
そういう理由だったので子どもとしては影ながら応援していたのだが、いつの間にやらそれが
生活費へと流れ、最終的には100%生活費に消えていくことになった…
(その辺の事情はここでは割愛する。覗き趣味のある方は過去の記事から
小生の家庭事情についての記述を読んでいただきたい。)

そして、その生活費としての役割が重くなったことや諸事情があり、母は新しい仕事を探す
ことを決意する。
しかし、その時年齢は45前後。世間の風は予想以上に冷たい。
英語教員資格があることや20代の頃の職務経験を連ねても、40代のおばさんに企業は
興味を見出さない。やっと関係ありそうな仕事が来たところで、「英語教材の販売」すなわち
外回りの営業だ。
結局、やりたかった分野、得意であった分野は断念し、母はコネクションのあった洋服屋に
勤務することになる。
もし結婚・出産してなく、或いは夫婦共働きを旦那側が認めていたら、母は今もバリバリの
仕事人間だったと思う。そして、母は子どもなんかより仕事の方が好きな人だった。
それだけに、きっとやり甲斐のある責務に囲まれ、活き活きとしてたんじゃないかと思う。
そんな母は、人生初の販売業に就いた…。

明日へ続く…。


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ri_31

「平成つれづれなるままに」の筆者です。TB有難うございます。
貴ブログのご母堂のお話、大変興味深く読ませていただきました。
多くの女性は、いまなお二者択一の人生選択を求められており、それが晩婚、非婚、離婚の理由、そして少子化の理由ともなっていますが、人生はそのときどきにおいて個々人が選択した結果であると同時に、そのときどきにおいて各人がさまざまな状況条件の中で自分が優先したいこと、すべきことを主体的に選んだ道のりでもあり、「主体的」である限りにおいては、常に可能性があるのです。問題は知恵や情報の有無、発想の可変性の有無で、その可能性が閉じられもすれば開かれもするということです。
ご母堂に似た女性を何人も存じ上げておりますが、一人は夫と死別した後3人のお子さんを育て、最後のお子さんが高校に入学したときに勉強を本格化させ、大学の官立民営化に関わる市民活動が縁で、その大学の職員となり、職員として働きながら放送大学に通って大学卒の資格を取って、いまその大学で念願の大学教員になりました。54歳です。収入は減っても育て上げられたご長女をはじめとするお子さん方から援助してもらいながら、実に活き活きと研究に情熱を燃やしておられます。
今後は、小生もこうしたお話をブログにてご紹介して参りましょう。
頑張りましょう。
by ri_31 (2005-07-12 09:34) 

lunasette

こんばんは。コメントを頂き、ありがとうございました。

こちらの記事を拝読し、改めて今回の大学の対応について考えさせられました。確かに、国立大学である群馬大学では、私大に比べれば社会的貢献云々を重視せざるを得ないという事情もあるのでしょう。多くの医療関係者が「今回の判断は妥当だ」と言っているのも、現場の実情を知る人間の意見として理解はできます。

しかし、俺さんも書かれているように、人間を一つの側面だけで評価することは合理的なように見えて、実際には不合理な結果を生み出します。同様に、何が「社会的貢献」となるのかは一義的に決められないものであり、「実働期間の長さ=社会的貢献の大きさ」というものさしは、一つの見方に過ぎません。

そういう意味では、ある事象の一要素だけを取り出し、さもそれがすべてであるかのように語る現代の世相を映し出す事件なのかもしれませんね。
by lunasette (2005-07-13 00:38) 

俺

ri_31さん、lunasetteさん、コメントありがとうご ざいました。
確かに、人間は常に生きていく上で選択をしています。自分は今何をしたいか、何をすべきか、何をするのが良いのか…
「やること」はもちろん、「やらないこと」「やめること」「そのまま」も選択していると言えるかもしれません。ただ、外的な要素によって「やりたい」という気持ちを抑えつけてしまうのは、できる限り避けなければならないように思います。それが個人の意志よ りも優先すべき事項であるなら仕方ないにせよ、今回のような場合 、本当に「優先すべき事項」かどうか、疑問に思うのです。

また、「実働期間の長さ=社会的貢献の大きさ」というものさしは一つの見方に過ぎない、おっしゃるとおりだと思います。
それも一つの要素だし、或いは「彼女の意志」もあるし、「彼女が若い学生ばかりが集まる大学に入った時、周囲へどんな効果・影響 を及ぼすか」「彼女の意志が誰かを勇気付けるか」云々、様々な要 素を考慮しなければならないように思います。


他の方の様々な見解を読んで、改めて自分の中で反芻し熟考することができました。ありがとうございました。
by (2005-07-13 00:51) 

えいこう

年齢の壁は、私が半ば本気で書いている小説の世界でも、同様のようです。私自身の文章力、筋立て力は、この際置いておきますが……。
各種新人賞でも、やはり若い人が優先されるようです。受賞後に生み出すであろう作品の数。人気商売の側面もある為、話題性も重視されるようです。
史上最年少で芥川賞を受賞した某女史。彼女が世に出るきっかけとなった、ある出版賞に対する逸話があります。
「作品の出来よりもその若さ。更には、美人である事が売り出す際に有利との判断が、受賞の決め手となった。そのうち応募要項に、写真同封が加わるのではないか」
などというもの。口さがのない人達による、ネット上での話です。
以上はあくまで風評ですが、事ほど左様に、年齢の壁は至る所で障害となっているようです。
by えいこう (2005-07-13 01:16) 

俺

毎度ありがとうございます。
年齢の壁、やはりどこにでもあるようですね。
逆に、「君の年齢ではまだまだだめだ」といった、若さゆえにできないことというのもあるかもしれませんね。

どちらにしろ、年齢が多少なりとも考慮する要素になるのは仕方ないにせよ、体力が求められるスポーツ選手じゃない限り、それは一要素に過ぎず、もっと見なければならない部分は他にもたくさんあるんじゃないかなぁと思うのです…
by (2005-07-13 06:32) 

m_kikuchi

このような女性がやはり実在されているのですね。感動しましたよ。
就職に関しては50歳すぎれば男でもまともな職からは排除されてしまっています。今の社会は何がまともなのか分からなくなってしまっていますね。
by m_kikuchi (2005-07-18 15:41) 

俺

コメントありがとうございました。
今回は女性に絞って論じましたが、確かに、男性でも50過ぎの事情は厳しいものですよね。
ただ、どんな人間であれ、年齢とともに人生経験は豊富になっていくはず。パソコンの使い方がわからなくても、違う分野で会社に貢献すること、人を育てることはできるはずなのですが…単に「年取ったら切り捨て」では、ただのロボットのようで、怖いと思います。
by (2005-07-19 13:48) 

参明学士/PlaAri

TBありがとうございました。
話題になりましたよね、この件は。俺さんの仰っていることとほぼ同じ感想を持っています。
全面的に大学が無礼者であると思います。年齢で落とすならばハナから受験に年齢制限をかけるべきです(それが良いか悪いかは別として)。
そうでなければ合格のために費やしてきた時間・費用・情熱を徹底して冒涜することになるのですから。結果的に見れば「必ず落ちる学校を受験していた」ということではないですか。
そして対応した大学の担当者も全く愚か者にしか見えません。さもまともなような論旨を用いて、自己を正当化しようとするその試み自体に怒りが湧きます。汚い人間ほど綺麗な布をかぶって周りの目をごまかそうとしますね。偽札は精巧に出来ていればいるほど罪が重いとされました。アカデミックな世界に住んでいる大学担当者は私から見れば非常にナンセンスで、人としての温かみが欠けていると率直に感じました。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-19 18:07) 

俺

そうなんですよね。人としての温かみは完全に欠落していますね。
一面的な見方から、やはり「卒業したら60歳を超してる婆さんに時間と金を費やすのはもったいない」という意見は根強いようですが、そんな単純な問題ではないように思い、この記事を書くに至りました。
by (2005-08-20 01:57) 

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