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連帯責任 [主張-ひと]

それは中学校の卒業式前日のことだった。生意気盛りの小生は担任と大激論を交わした。

きっかけは、前日の「卒業式予行」というものだった。
日頃から下らない集会についてはサボり癖のある不良少年だったが、さすがにこればかりはいないとすぐ発覚するので、屋上で語ってるわけにもいかず、更衣室で漫画を読んでるわけにも行かず、一応参加した。と言うよりは中学校生活もいよいよ終わるということで、最後くらい全うに参加しようと思ったわけだ。
それにしても卒業式のリハーサルほど退屈なものはない。とりわけ小学校中学校は段取りが色々とありすぎる。歌を歌えば「声が小さい!やり直し!」だし、卒業証書をもらうのも「壇上では背筋をピンと!」「お辞儀の腰は45度で…」と、異様にこだわる。
そして、事件は起きた。総勢150名強の生徒一人ひとりを担任が名前を呼んで、一人ひとり「ハイ!」と言って壇上に上って校長にお辞儀をして証書をもらって礼をして下りる…という一連の流れを通したのだ。リハーサルだから適当にやればいいものを、当日緊張しないように、だか、今のうちに作法を徹底させよう、だか、意図はわからないが全員通してやったので、相当時間がかかった。
ところが、何と教師達が「もう一回最初からやる!」と言い出したのだ。
実は、この「卒業式予行」が始まった頃から、一部の悪ガキ連中と教員達がバトルし合っていたのだ。それも「学ランの第一ボタンを止めろ」「嫌だ」の低次元な争いだ。
いい加減教師達も声を荒げて注意し続けるのだが、一向に聞く気配はない。そして彼らはボタンを締めないまま壇上に上り、証書受け取りの練習を行った。そして、遂に学年主任の堪忍袋の尾が切れた。
「一部の生徒が服装を正さないので、予行をはじめからもう一回やり直します。これは連帯責任です。全員が服装をきちんとするまで、何度でも繰り返します」と言い出したのだ。
教師たちもここまで来るとヤケである。「君一人がちゃんとしないからみんなに迷惑がかかってるんだよ」とプレッシャーをかける。
まぁ不良少年達にとっても所詮ボタンなどどうでもいいことで、訴えたいことはもっと違う所にあるのでその場は従った。結果1回やり直して全ての練習は終了した。
練習終了とともに、小生は担任に詰め寄った。「なんださっきのは。おかしい!」とつかみかからん勢いで担任を問い詰めた。
担任は「集団行動とはこういうものだ。連帯責任だ」の一点張り。しかし、当時中学3年生の小生は引き下がることを知らない。「何が連帯責任だ。一人のバカのために150人が迷惑を被る必要がどこにあるのか!」
しかし、理解を得ることはできない。そこで、こんな話をした。
「今(その当時リアルタイムで流行っていた)日本では、新しい500円玉が出回っている。あれは何かといったら、ほんのごく少数の人間が偽造という悪事を働くことで、政府は対策を要され新型の500円玉を作り、対応しない券売機の改良が求められ、我々も使えたり使えなかったりと不便をして、結局少数の人間のせいで国民全員が迷惑を被っている。きょうの『ボタン云々』の話もこれと同じではないか。何が連帯責任だ。連帯責任などおかしい。」と…大体こんな感じの内容だったかと思う。

担任はこの話に一定の理解を示しながらも、結局は最初の「連帯責任」の常套句に終始したので、もはや議論は続かなかった。

しかし、未だもって思う。連帯責任とは何か。責任を負わせる側の勝手な都合だろう。
誰か一人が足を引っ張って結果歩みが遅れたとしたら、それはやはりメスを入れるべきは足を引っ張る人間をどうにかすることではないだろうか。それは、「排斥」「改善」どちらにしろ、やるべきだと思う。しかし、その手段として「連帯責任」を引用するのはいかがなものか。元々「他人のことなんか知ったこっちゃねぇ」という意識でいる人間故に足を引っ張っているのだから、「君一人がみんなに迷惑をかけてるんだよ」なんて言ったところで、ますますひがみ、いじけ、反抗するだけである。むしろ、そうすることで何ら迷惑をかけず頑張っている人、そつなくこなしている人たちのモチベーションを下げる。「なんで俺達があいつの尻拭いをしなければならないんだ」「こっちはちゃんとやっているのだから、正当に評価してくれ」ということになる。下手をすると、やる気をなくして「じゃあ俺もやらないよ」「やめたやめた」となって、ますます足並みが乱れることになる。

共産主義というのは結局、そういう結末が見えているのではないか。きちんとやっている人間には評価を、やっていない人間には叱責・教育をすべきだ。
ちゃんとやっていても何も言われず、誰かがサボったらその分を全員で負担する…これでは、誰も労働しなくなる。

そして何よりの前提として、やはり目の前に希望が見えない環境にあっては、誰しも無気力になる。「評価されたい。認められたい。だからきちんとやる。努力する。」と思えれば良いのではないか。
もっと言うと、そこは中学校だ。彼らは不良だろうがガリ勉だろうが、皆子どもだ。勉学使途の身だし、五感全てで吸収し日々生きている学聖だ。
彼らは500円玉偽造の犯人とは違う。はじめから否定に入っている姿勢にそもそも小生は抵抗を覚えた。何故彼らは学ランのボタンを空けるという行為を行っているのか。どういった考えを秘めているのか、何を訴えたいのか、明日卒業して自分達の下を離れてこれからどう生きていくのか。
そこまで考えるのが教師の役割ではないか。
この問題は、ボタンを締めて終わったわけではない。


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えいこう

私も中学卒業直前、教師と一悶着あった事を思い出しました。頭髪問題でですが。
トラックバックさせて頂きましたが、いかがでしょう。
本来ブログで、このような見解を述べるつもりはありませんでしたが、この記事に触発されて書く事にしました。迷った末の決断です。
もし、トラックバックする意味が分からん。或いは、意に反する。そうお感じになりましたら、削除して下さい。よろしくお願いします。
by えいこう (2005-06-19 00:12) 

俺

コメント頂きありがとうございます。
生憎まだきちんと読めていないのでお返事は改めて書きますが、現段階でいえるのは、TBを削除するつもりはないのと、おっしゃっている見解はごもっともだなぁと感じました。
by (2005-06-20 00:03) 

とと

こんばんは.
このエントリー,面白くて何回も読んじゃいました.
そして連帯責任について,つい考えてしまいましたので(笑),TBさせていただきました.
by とと (2005-06-22 00:04) 

頓田

福岡の中学校で連帯責任と称して生徒を坊主頭にするという事件があったので、いろいろ調べていてここを見つけました。

そもそも生徒に不良生徒の身だしなみを整えさせる権限と任務が与えられているでしょうか?私はそれが与えられているのは教師だけだと思います。
従って責任を取らなければならないのは教師以外になく、連帯責任などと言う便利な言葉によって生徒を虐げてはならないと考えます。
はっきり言って学校で使われている「連帯責任」とは「道連れ」でしかないと思います。

そういえば私も中高生の頃は何かと教師に食ってかかったものです。
今思えば教師ってレベルが低い人が多かったのですね。教師という言葉に惑わされていました。
by 頓田 (2005-10-12 13:40) 

俺

コメントありがとうございます。
福岡の事件は知りませんでしたが、連帯で坊主頭とはいまどき珍しいですね。

おっしゃる通り教師に最大の責任はあるかと思います。ただ、同時に生徒内部でも本当は自律の動きがなければいけないのかもしれませんね。
小生のような食ってかかる生徒ばかりでは、クラスとしてのまとまり、共同体内部のコミュニケーションが成立しなくなってしまい、みんな他人に無関心の冷たい集団と化してしまうようで、それは恐ろしいことだと思います。誰か一人か二人くらい、生徒の中からおかしな連中に対して「お前ちゃんとしろよ」と言える人がいれば、うまく機能していくんでしょうね。今の時代難しいかもしれませんが…
by (2005-10-15 02:35) 

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